第一回 紂王女媧宮進香 -冒頭の古風一首
封神演義は三国志演義に負けずおとらず、読んで面白い。三国志演義は、私が大分前に読んだ三国志演義は吉川英治の文庫版<三国志>でこれは<三国志演義>が元になっている。この文庫本<三国志>に<三度のめしより三国志>と書かれた帯付(おびふ)がついていた記憶がある。実際<三度のめしより三国志>であったのも記憶にある。封神演義は文学としては二流扱いされているようで(注1)、確かに善玉、悪玉がはっきりし過ぎている(テレビに時代劇<水戸黄門>のように)、同じ常套句の描写が何度もくりかえされて、創作者としてなまけているところもあるが、これは封神演義が一人の作者による純創作というよりは当時流布していた人気のある話をもとにしているためだろう。全般的には天界(というよりはむしろ仙人が住む雲の中の山や洞くつ)と地上界の二つの世界の融合による壮大な感じがあり、ストーリ展開もよく考えられている。そして、なによりもまず、辞書をひきひきではあるが、全部漢字の羅列でも、詩の部分を気にせず飛ばせば、どんどん次を読みたくなる魅力がある。さいわい詩は飾りみたいいなものでストーリ展開の理解にほとんど影響ない。
さて封神演義の第一回は<紂王女媧宮進香(紂王女媧宮で焼香す)>というタイトルで、古風一首で始まっている。この一首は前置き(プレリュード)で関連のある神話と封神演義の内容の概要(サマリー)だ。したがって、大体意味が分かればいいといった内容だが、逆にこれをよく読めば封神演義の大筋がわかることになる。推理小説ではないので概要がわかってしまうとおもしろくない、ということはない。作者の詩の技量を示す目的もあろう。
タイトルにある紂王は封神演義の悪玉主人公。女媧(じょか)は、古代中国神話に登場する第一級女神で創造女神でもある。
古風一首:
古風一首:
混沌初分盤古先,太極兩儀四象懸。
子天丑地人寅出,避除獸患有巢賢。
燧人取火免鮮食,伏羲畫卦陰陽前。
神農治世嚐百草,軒轅禮樂婚姻聯。
少昊五帝民物阜,禹王治水洪波蠲。
承平享國至四百,桀王無道乾坤顛,
日縱妹喜荒酒色,成湯造亳洗腥羶,
放桀南巢拯暴虐,雲霓如願後蘇全。
三十一世傳殷紂,商家脈絡如斷弦:
紊亂朝綱絕倫紀,殺妻誅子信讒言,
穢污宮闈寵妲己,蠆盆炮烙忠貞冤,
鹿臺聚斂萬姓苦,愁聲怨氣應障天,
直諫剖心盡焚炙,孕婦刳剔朝涉殲,
崇信姦回棄朝政,屏逐師保性何偏,
郊社不修宗廟廢,奇技淫巧盡心研,
昵比罪人乃罔畏,沉酗肆虐如鸇鳶。
西伯朝商囚羑里,微子抱器走風湮。
皇天震怒降災毒,若涉大海無淵邊。
天下荒荒萬民怨,子牙出世人中仙,
終日垂絲釣人主,飛熊入夢獵岐田,
共載歸周輔朝政,三分有二日相沿。
文考末集大勳沒,武王善述日乾乾。
孟津大會八百國,取彼凶殘伐罪愆。
甲子昧爽會牧野,前徒倒戈反回旋。
若崩厥角齊稽首,血流漂杵脂如泉。
戒衣甫著天下定,更於成湯增光妍。
牧馬華山示偃武,開我周家八百年。
太白旗懸獨夫死,戰亡將士幽魂潛。
天挺人賢號尚父,封神壇上列花箋,
大小英靈尊位次,商周演義古今傳。
From: http://open-lit.com/listbook.php?cid=1&gbid=17&bid=654&start=0
混沌初分盤古先,太極兩儀四象懸。
子天丑地人寅出,避除獸患有巢賢。
燧人取火免鮮食,伏羲畫卦陰陽前。
神農治世嚐百草,軒轅禮樂婚姻聯。
盤古、有巢、燧人、伏羲、神農、軒轅は固有名詞で上古の六大神聖人の名前。
混沌初分盤古先 - 初めに混沌があり、先ず盤古がこれを分けた。
太極兩儀四象懸 - 太極が兩儀(陽陰)に分かれ、さらに兩儀が四象に分かれた。 (下図八卦参照)
http://baike.baidu.com/view/3238637.htm
方位角度四象:東、南、西、北。
西方神:白虎
南方神:朱雀
北方神:玄武(亀蛇合体)
太极即为天地未开、混沌未分阴阳之前的状态。
八卦は<当たるも八卦当たらぬも八卦>というのがあり、この程度に扱うのが庶民の知恵だろう。とは言え、<易経>、八卦の知識があると封神演義の理解が深まり、かつ広がり、さらにおもしろくなるだろう。見慣れない漢字が多いが両端の<乾>-<坤>は 乾坤一擲(けんこんいってき)という言い方がある。<乾坤一擲>は大きな勝負事の喩えとして用いられる表現、という。いわば<賽は投げられたり>の中国版。<擲>は投擲、放擲の<擲>。乾坤はこれからもよく出てくる。
乾为天,坤为地,乾坤代表天地。
乾坤,一般代表天地,阴阳。
八卦は<当たるも八卦当たらぬも八卦>というのがあり、この程度に扱うのが庶民の知恵だろう。とは言え、<易経>、八卦の知識があると封神演義の理解が深まり、かつ広がり、さらにおもしろくなるだろう。見慣れない漢字が多いが両端の<乾>-<坤>は 乾坤一擲(けんこんいってき)という言い方がある。<乾坤一擲>は大きな勝負事の喩えとして用いられる表現、という。いわば<賽は投げられたり>の中国版。<擲>は投擲、放擲の<擲>。乾坤はこれからもよく出てくる。
乾为天,坤为地,乾坤代表天地。
乾坤,一般代表天地,阴阳。
http://baike.baidu.com/subview/75213/5088329.htm
子天丑地人寅出 - 天ができ、地ができ、人が出てきた。
子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥(十二支)を参照。<子天丑地人寅出>は並び方がややおかしいが、これは七言詩の体裁のためだろう。<子(ね)の刻>、<丑(うし)三つ時>は昔の時間の数え方で時代劇にでてくる。ここで子丑寅は時間ではなく、順序だろう。
避除獸患有巢賢 - 賢い有巢が出てきて人に木の上に巣をつくることを教え、獣(けもの)に襲われるわざわいを除いた。
燧人取火免鮮食 - 燧人が出てきて人に火のおこし方、使い方、火で料理し生ものを食べないことを教えた。
有巢はいわば衣食住の<住>の神様だ。木の上の住居は現実離れしているが神話ならいいだろう。六大神聖人の一人なのは中国人が持つ<住>の重要性を示すと言えよう。
燧人はいわば<火と料理>の神様だが、燧石は<火打ち石>のことだ。中国人はいまでも生野菜(サラダ)をめったに食べない。これまた中国人が持つ<食>の重要性を示すと言えよう。
伏羲畫卦陰陽前 - 伏羲が出てきて八卦、陰陽をこしらえた。
八卦と言うと占いだが、陰陽は世の中の現象を一般的に分析(二分)する見方で、これは科学時代の現在でも立派に生きている。<前>は<昔>のことだろう。<前>がここにあるのは七言詩の脚韻を合わせるためだろう。少し前の<太極兩儀四象懸>の<懸>、<避除獸患有巢賢>の<賢>も同じ。また以下も同じ。伏羲は八卦の発明以外にもいろいろなことをしているが、神話上は女媧は妹で、これと結婚している。
神農治世嚐百草 - 神農はその治世中に人に百草を与え、食べ物を豊富にした。
神農は文字通り<農業の神>で、百草は<百>にこだわることなく、百以上の多くの植物。百草の代表は主食になる粟(あわ)、稗(ひえ)類の五穀だろう。この地域、この時代では米(こめ)は五穀に入っていない。神農は別名<炎帝>で次に出てくる軒轅(別名<黄帝>)とともに五帝の一人。
軒轅禮樂婚姻聯 - 軒轅は人に禮樂婚姻を教えた。
軒轅は別名<黄帝>で五帝の一人。古代<夏>の創始者。樂は音楽、楽器のことだろう。五帝は誰かと言うと、黄帝、颛顼、帝嚳、堯、舜。<堯、舜>は論語か何かに出てくる<見習うべきすぐれた帝(王)たち>、ということになっているが、これはマユツバもの。話がややこしくなるが、さらにさかのぼる古代には五天帝というのがあり、これは中央上帝黄帝(軒轅)、東上青帝(伏羲)、南上帝赤帝(神農)、西方上帝白帝(少昊)、北方上帝黒帝(玄帝、颛顼)。したがって黄帝(軒轅)と黒帝(颛顼)は五帝と五天帝をかけ持っていることになる。少昊、五帝は次に出てくる。
少昊五帝民物阜,禹王治水洪波蠲。
承平享國至四百,桀王無道乾坤顛,
日縱妹喜荒酒色,成湯造亳洗腥羶,
放桀南巢拯暴虐,雲霓如願後蘇全。
少昊五帝民物阜
- 少昊などの五帝時代は民は物(もの)豊かに暮らしていた。
禹王治水洪波蠲
- 禹王は治水に成功した。
承平享國至四百 - まとめた国は四百に及んだ。
<阜>は岐阜の<阜>だが、<豊か>という意味。少昊は上記のように西方上帝白帝のこと。五帝は黄帝、颛顼、帝嚳、堯、舜。話がかなり込み入ってくるが、中国<超>古代史の常識として頭のどこかに入れていた方がよさそう。<堯、舜>は神話ががっているが、禹王はそうでもなさそう。少なくとも禹王(か誰か)の治水行政はそこそこの事実が背景にあるとみる。
帝嚳は
Chinese
Wiki によると
帝嚳自小有德行,聰明能幹。十五歲時,被帝顓頊選為助手,有功,被封于有辛(今河南商丘)。帝顓頊死後,他繼承帝位,時年三十歲。
傳說帝嚳繼為天下共主後,以亳(今河南偃師)為都城,以木德為帝。當時,共工氏實力強大,對嚳繼帝位極為不滿,憤怒得用頭撞擊不周山,使天柱折斷,大地斜向東南,並進而發動反叛。帝嚳下令火正黎帶兵平定共工之亂,失敗而回。帝嚳處死了黎,以黎的弟弟吳回繼任火正,再次領兵對付共工,最後平定叛亂,殺了共工氏。 (これは一つの物語)
そのほかにも神話的な話があるが、帝嚳に続く系図は
帝嚳有四妃。正妃有邰氏名姜嫄,生子棄,即后稷,是周朝的始祖。次妃有娀氏名簡狄,生子契,是商朝的始祖。次妃陳豐氏名慶都,生子放勳。次妃娵訾氏名常儀,生摯,帝嚳死後,摯承嚳的帝位,九年后禅譲给放勳,也就是帝堯。
神話の世界に近いが帝嚳は周朝と商朝(殷)の始祖ということになる。
という系図があるので禹は黄帝(軒轅)の孫の孫ということになる。
禹の父の鲧は治水に失敗したが、禹は成功した。<洪>は洪水のこと。<蠲>はここでは<取り除く>の意。上で軒轅は別名黄帝で、古代<夏>の創始者、と書いたが、黄帝はウサン臭いが、禹はかなり歴史的事実が反映しているようだ。ところで、ややこしいのは五帝の最後の二人<堯、舜>と禹の関係だ。
堯の父は帝嚳。帝嚳は在位七十年で亡くなり、帝位は第四妃の息子の挚に移ったが、第三妃の息子堯は十三歳で挚を補佐。十八歳で挚に代わって帝となる。堯の息子は出来がわるかったので、血筋外の舜に帝位を譲る(禅譲)。舜の息子も出来がわるかったようで、禹に帝位を譲る(これまた禅譲)。ただしこの禹は上に書いたように黄帝(軒轅)の孫の孫なのだ。夏王朝は禹が創始者で、息子の启以下最後の桀まで、かなり長い王朝だが、とりあげらるのは主に始めの禹と終わりの桀だ。
禹
->
啟
->
太康
->
仲康
->
相
->
少康
->
予
->
槐
->
芒
->
泄
->
不降
->
扃
->
廑
->
孔甲
->
皋
->
發
->
履癸(桀)
ここで話は封神演義の古風一首にもどる。
桀王無道乾坤顛 - 桀王無道にして天地転倒。
日縱妹喜荒酒色 - 皇后妹喜に従いて日ごと酒色におぼれる。
<顛>は<頂(いただ)き>、<倒>などの意味があるがここは<倒>だろう。本末転倒の<転>はもともと<顛>の字だ。<乾坤>は本来易經上の兩個卦の名だが,後には天地、陰陽、男女、夫婦、日月等を指すようになった。
桀は夏王朝の最後の王。一方封神演義の悪玉主人公の紂は殷王朝の最後の王で、桀、紂いづれも極悪非道の王にされている。妹喜は桀の皇后。
妺喜は夏桀王の后,纵情声色,荒淫奢侈,史称第一亡国の女。妺喜、妲己(この女性は封神演義の悪玉主人公のひとり)、褒姒(西周の最後の王の幽王の第二妃で妲己と似たような話が作り出されている)、骊姫(春秋の晋のの二番目の王妃。骊姫がもとで複雑な王位をめぐる争いが起こっている)四人が中国古代四大妖姫.
<四大悪女>でもいいが、すくなくとも妲己は<妖姫>の方が封神演義にはふさわしい。
成湯造亳洗腥羶 - 成湯は血生臭さを清めて亳(場所)に都を移し、
放桀南巢拯暴虐 - 桀を南巢に追いやり、暴虐をしずめ、
雲霓如願後蘇全。- 雨雲の後(のち)霓(虹の一種)が出るように、願いかなって世は全(すべ)て蘇(よみがえら)った。
この個所の解釈例
- 优质解答
- 云霓可以指行军打仗的旗子,这里应该用旗子指商汤
- 如愿,达到愿望 愿望就是“拯暴虐”
- 后: 就是之后
- 苏: 复苏
- 全: 全面
- 商汤“拯暴虐”之后会经济等各方面都得到了全面的复苏
- 放桀南巢拯暴虐,云霓如愿后苏全
- 说的应该是夏灭商汤即位后,使百姓安居乐业吧
- 个人看法 仅供参考
語順がおかしいが、七言詩のためだろう。<全>は脚韻を踏んでいる。<霓>は虹の外側に見られる淡い虹。
三十一世傳殷紂,商家脈絡如斷弦:
紊亂朝綱絕倫紀,殺妻誅子信讒言,
穢污宮闈寵妲己,蠆盆炮烙忠貞冤,
鹿臺聚斂萬姓苦,愁聲怨氣應障天,
ここからようやく封神演義の内容になる。
三十一世傳殷紂 ー 殷朝は三十一世の紂王まで伝えられたが
商家脈絡如斷弦 ー 商家(殷朝)脈絡は弦が絶たれる如くになった
<三十一世>とはこれまた長いが、殷王朝の系図は下記のとおりで、取り上げられるのはこれまた主に始めの(成)湯と最後の紂だ。
湯(大乙)
-
外丙
-
仲壬
-
太甲
-
沃丁
-
太庚
-
小甲
-
雍己
-
太戊
-
仲丁
-
外壬
-
河亶甲
-
祖乙
-
祖辛
-
沃甲
-
祖丁
-
南庚
-
陽甲
-
盤庚
-
小辛
-
小乙
-
武丁
-
祖庚
-
祖甲
-
廩辛
-
庚丁
-
武乙
-
太丁
-
帝乙
-
紂(帝辛)
さらに始祖は契で、湯は契から数えて十五世。契は上で簡単に書いたが<帝嚳の二妃簡狄の子>で、夏王朝の<堯、舜、禹>に仕えたことになっている。この辺は権威づけのための伝説だろう。このあたりの系図の話(帝嚳‐契‐湯)は<古風一首>の後の物語の始めにでてくる。
紊亂朝綱絕倫紀 - 朝廷の綱紀は乱れ、倫理は絶えた。
殺妻誅子信讒言 - 妻や子をわけもなく殺し、讒言を信じた。
穢污宮闈寵妲己 - よごれてきたない宮室は妲己を寵愛す。
<穢污>は文字通りでは<穢)けが)れて汚(かたな)い>。<闈>は見慣れない字だが<宮闈>で<宮室>、さらには<寵妲己>から皇帝<紂>の意でもいい。
蠆盆炮烙忠貞冤 - 忠貞臣は無実の罪で蠆盆、炮烙の刑をうける。
<蠆盆>、<炮烙>は妲己が思いついた刑ということになっている。<蠆>も見慣れない字だ。
<蠆盆>は第17回<蘇坦己置造蠆盆>という話がある。
http://baike.baidu.com/view/807122.htm
妲己說:“依小妾之見,可以在摘星樓前,在地上挖一個方圓數百步,深高五丈的大坑,然後將蛇蠍蜂蠆之類丟進穴中,將這些宮女投入坑穴,與百蟲嘬咬,這叫作蠆盆之刑。”
というお話がある。蛇蠍蜂はわかるので、このような<虫>だろう。蛇も<虫偏>がある。
炮烙は第6回<紂王無道造炮烙>という話がある。熱したアイロンのようなものだ。
<冤>は<冤罪(えんざい)>の<冤>、<無実の罪、罰>、<罪のなすりつけ>。ここはこれでいいが、中国語(現代中国語を含む)の<冤>はけっこう複雑で
1.
屈枉,无故受到指责或处分:~枉。~屈。~案。~狱。~愤。伸~。鸣~叫屈。
2.
仇恨:~头。~家。~孽。
3.
欺骗:不许~人。
冤 - English
として
bad
luck(不運)、enmity(敵意)、wrong (間違い)、grievance (恨み),
injustice (不正)
があげられといるが、
冤とは意味が少しずれている。
日本語の方も<無実の罪、罰>のようになって一語ではあらわせないようだ。大和言葉では<濡れ衣を着せられる>という言い方があり、長いがこれが冤にあたるかもしれない。だが<濡れ衣>は比喩だ。
鹿臺聚斂萬姓苦,愁聲怨氣應障天,
直諫剖心盡焚炙,孕婦刳剔朝涉殲,
<鹿臺>は紂王が立てた都の朝歌付近に建てた建物で贅沢に過ごしていたようだ。結局紂王は周側との戦いに負けた後ここに逃れ、焼け死ぬことになる。<聚斂>年貢や税を容赦なく人民から取り立てること。<苛斂誅求>という四字成語がある。したがって
鹿臺聚斂萬姓苦 - 贅沢な鹿臺は人民を苦しめ
愁聲怨氣應障天 - 嘆きの声と怨(うら)みの気は天を蔽(おお)い
直諫剖心盡焚炙 - 正しく諫める者剖心の刑につき、火に炙(あぶ)られ
孕婦刳剔朝涉殲 - 妊婦は腹を引き裂かれた後で、水の中を歩かされて殺された。
<剖心>
は心臓をえぐり出す刑で第26回<妲己設計害比干>にでてくる。<殲>は殲滅の殲。<孕婦刳剔>は第89回に<紂王敲骨剖孕婦>という話がある。
崇信姦回棄朝政,屏逐師保性何偏,
この個所はやや難しいというか見慣れない漢字が多く、推測ができにくい。背景に次のような話がある。
崇信は<崇め信じる>でよさそう。
姦回は<姧回>、<奸回>という字も使われ<奸恶邪僻的人或事>、つまりは<邪悪な人、コト>。
屏逐は<驱逐する,
排除する>。
師保は<辅弼帝王和教导王室子弟的官>でいわば宮廷の天子教育係だ。
尚書の周書の中の<泰誓下>に“崇信奸回,放黜师保” とういのがある。<放黜>は大体<屏逐(驱逐する, 排除する)>と同じような意味だ。
”
時厥明,王乃大巡六師,明誓眾士。王曰:「嗚呼!我西土君子。天有顯道,厥類惟彰。今商王受,狎侮五常,荒怠弗敬。自絕于天,結怨于民。斫朝涉之脛,剖賢人之心,作威殺戮,毒痡四海。崇信奸回,放黜師保,屏棄典刑,囚奴正士,郊社不修,宗廟不享,作奇技淫巧以悅婦人。上帝弗順,祝降時喪。爾其孜孜,奉予一人,恭行天罰。古人有言曰:『撫我則后,虐我則仇。』獨夫受洪惟作威,乃汝世仇。樹德務滋,除惡務
本,肆予小子誕以爾眾士,殄殲乃仇。爾眾士其尚迪果毅,以登乃辟。功多有厚賞,不迪有顯戮。
”
尚 書は<《詩》(詩經)、《書》(尚書)、《禮》(禮記)、《易》(易經)、《春秋》五部經典>の四書五経の一つで、孔子が一部編纂にかかわったことになって いるので、とんでもなく古い書物だ。紙の本ではなく竹簡というやつか? 上記の引用部がいつごろ書かれたのかわからないが、漢字の羅列を見る限り封神演義 (明の時代に書かれた)の紂王の描写とよく似ている。さらには尚書時代ですでに決まり文句の四字成語かもしれない。とういことは紂王は明の時代まででも 2000年も悪玉扱い、中傷され続けたことになる。これでは紂王もたまったものではない。また、すでに書いたように殷(商)の紂王は夏朝の桀の二重写しでもあるので、これらのののしり、けなし四字成語はさらにさかのぼるのだろう。
<性何偏>がよくわからないが性は<性格>で、偏は<偏(かたよ)った>の意。何は疑問詞だが昔は強調(何と xxx だ)の使い方があった。したがって<性何偏>は<性格は極めてねじけた>とでもなるか。
崇信姦回棄朝政 - 邪悪なことを崇め信じ、朝政はかえりみず
屏逐師保性何偏 - 補佐役を退け、性格はきわめて偏(かたよ)り
郊社不修宗廟廢,奇技淫巧盡心研
<郊社>は<
郊,冬至到南郊外祭天。社,夏至到北郊外祭地。郊社指古代帝王在郊外祭祀天地的典禮>という解説がある。
上記の尚書引用の中に<郊社不修,宗廟不享,作奇技淫巧以悅婦人>
と言う表現がある。いわば尚書のコピーだ。
郊社不修宗廟廢 - 郊外の社(やしろ)は荒れるまま、宗廟も朽ちたり
奇技淫巧盡心研 - 奇抜で淫らなことに心を研(みが)き
昵比罪人乃罔畏,沉酗肆虐如鸇鳶。
これまた少し難しい。
<昵比>は近親、<乃>は昔の<是=は>、<罔>は<無し>。<沉酗>は<深酒>、<肆虐>は虐待を恣(ほしいまま)にする。恣意(しい)という言葉は日本語になっている。
<鸇鳶>は猛禽類で鷲、鷹の類だろう。鳶は日本語では<トビ>。
昵比罪人乃罔畏 - まわりはの罪人は畏れることを知らず
沉酗肆虐如鸇鳶 - 深酒をしては鷲、鷹のように残虐を恣にした。
同じく尚書の周書の中の<泰誓中>に
暱比罪人。淫酗肆虐
という表現があり、これも尚書のコピー表現ともいえる。
泰誓中
我聞吉人為善,惟日不足。凶人為不善,亦惟日不足。今商王受,力行無度,播棄犁老,暱比罪人。淫酗肆虐,臣下化之,朋家作仇,脅權相滅。無辜籲天,穢德彰聞。
<泰誓>は商朝の正式成立宣言ともいうべきもので上中下があるがそれほど長くはない。話が少し脇道のそれてしまうが、尚書がどういう内容の書は調べてみよう。
尚書(書、書経とも)はかなり意識的、無意識的かわからないがかなり偏(かたよ)った見方の歴史書で、歴史書としてそのまま鵜呑みにはできない。
Japan-Wikiより
"
『書』は先秦時代、他の儒教経伝や墨子をはじめとする諸子百家の書物、歴史書などに引用されており、現在見られるものとは違ったテキストがあったことが推測される。漢代以降のテキストには大きく分けて「今文尚書」「古文尚書」「偽古文尚書」の三つがある。
『書経』は時代順に並べられ、虞書・夏書・商書・周書に分けられる。
『書経』にはその体裁によって以下のようなものがある。
- 誥(こう) - 君主の臣下に対する言葉
- 謨(ぼ) - 臣下の君主に対する言葉
- 誓 - 君主が民衆に対する宣誓の言葉
- 典 - 重要な歴史的事件のあらましが書かれたもの
また人名や内容によって篇名が付けられたものもある。
"
虞書には<堯典>、<舜典>、夏書には<禹貢>、商書には<湯誓>というタイトルの文があるがある。周書は<泰誓>で始まっている。したがって<堯、舜>は虞朝に属することになる。この虞朝はある説によると1000年くらい続いたというが創始期の記録がない。
幸い英語対訳版がある。
諸子百家:中國哲學書電子化計劃<尚書>
http://ctext.org/shang-shu/zh
ちなみに上記の引用の箇所はつぎのようになっている。
”
時厥明,王乃大巡六師,明誓眾士。王曰:「嗚呼!我西土君子。天有顯道,厥類惟彰。今商王受,狎侮五常,荒怠弗敬。自絕于天,結怨于民。斫朝涉之脛,剖賢人之心,作威殺戮,毒痡四海。崇信奸回,放黜師保,屏棄典刑,囚奴正士,郊社不修,宗廟不享,作奇技淫巧以悅婦人。上帝弗順,祝降時喪。爾其孜孜,奉予一人,恭行天罰。古人有言曰:『撫我則后,虐我則仇。』獨夫受洪惟作威,乃汝世仇。樹德務滋,除惡務本,肆予小子誕以爾眾士,殄殲乃仇。爾眾士其尚迪果毅,以登乃辟。功多有厚賞,不迪有顯戮。
”
Declaration III:...: The time was on the morrow, when the king went round his six hosts in state, and made a clear declaration to all his officers. He said, 'Oh ! my valiant men of the west, from Heaven are the illustrious courses of duty, of which the (several) requirements are quite plain. And now Shang, the king of Shang, treats with contemptuous slight the five regular (virtues), and abandons himself to wild idleness and irreverence. He has cut himself off from Heaven, and brought enmity between himself and the people. He cut through the leg-bones of those who were wading, in the morning; he cut out the heart of the worthy man. By the use of his power, killing, and murdering, he has poisoned and sickened all within the four seas. His honours and confidence are given to the villainous and bad. He has driven from him his instructors and guardians. He has thrown to the winds the statutes and penal laws. He has imprisoned and enslaved the upright officer. He neglects the sacrifices to heaven and earth. He has discontinued the offerings in the ancestral temple. He makes contrivances of wonderful device and extraordinary cunning to please his wife. God will no longer indulge him, but with a curse is sending down on him this ruin. Do ye with untiring zeal support me, the One man, reverently to execute the punishment appointed by Heaven. The ancients have said, "He who soothes us is our sovereign; he who oppresses us is our enemy." This solitary fellow Shou, having exercised great tyranny, is your perpetual enemy. (It is said again), "In planting (a man's) virtue, strive to make it great; in putting away (a man's) wickedness, strive to do it from the roots." Here I, the little child, by the powerful help of you, all my officers, will utterly exterminate your enemy. Do you, all my officers, march forward with determined boldness to sustain your prince. Where there is much merit, there shall be large reward; where you do not so advance, there shall be conspicuous disgrace.
泰誓中
我聞吉人為善,惟日不足。凶人為不善,亦惟日不足。今商王受,力行無度,播棄犁老,暱比罪人。淫酗肆虐,臣下化之,朋家作仇,脅權相滅。無辜籲天,穢德彰聞。
Declaration
II:...: 'I have heard that the good man, doing good, finds the day
insufficient; and that the evil man, doing evil, also finds the day
insufficient. Now Shou, the king of Shang, with strength pursues his
lawless way. He has driven away the timeworn sires, and
cultivates intimacies with wicked men. Dissolute, intemperate,
reckless, oppressive,
his ministers have become assimilated to him; and they form
combinations and contract animosities, and depend on their power to
exterminate one another. The innocent cry to Heaven. The odour of
such a state is felt on high.
西伯朝商囚羑里 - 西伯は商(殷)朝によりて羑里に閉じ込められ
微子抱器走風湮。 - 微子は商(殷)朝の祭器を持ち出して武王に下り、後風湮の世界に暮らす。
この二句はほとんど関係ない。時間的にもかなり離れている。<西伯朝商囚羑里>は第十一回の<羑里城囚西伯侯>に出てくる。西伯は姬昌、そして文王のこと。
一方<微子抱器走風湮>は第100回の<武王封列國諸侯>に簡単に出てくるだけ。<雖賢如比干、微子,皆不能匡救其君>というのが関連ある。つまり<微子抱器>は微子にまつわるよく知られた話なのだ。その話と言うのは
<抱器> は<武王克殷後,微子持祭器造於武王軍門,“肉袒面縛,左牽羊,右把茅,膝行而前以告。於是武王乃釋微子>(史記·宋微子世家))と言う話に基づいている。
Japan-wikiの<微子>には次のような解説がある。
”
微子啓(びしけい)は、中国の殷の王族。帝乙の長子。微は封じられた国名、子は子爵、啓が諱である。(略)
生涯
帝辛(紂王)の長兄であったが、庶長子であったために王位を継承せず、微に封じられて微子啓と呼ばれた(『史記』「殷本紀」)。(中略)
彼は穏やかな性格で人望があった。末弟の紂王が乱暴な政治を繰り返して行うのを何度も諫め、周との戦いでは和睦を主張したが、全く聞き容れられなかった。そこで一命を国に捧げようか、それとも殷の祖廟を絶やさないために国を去ろうか迷い、殷の楽官の太師・少師に問うた。すると両人とも彼に立ち去ることを勧めたので、微子啓は同母弟の仲衍と共に国を去って封地の微に帰った。
後に紂王が牧野の戦いで周に敗れた後、武王の軍に赴き弟の仲衍と共に降伏を申し出た。その時に微子啓は諸肌を脱ぎ、両手を背後で縛り、左手で羊を引き、右手で茅を取って膝(ひざま)ずいたという。武王は快く微子を許した。
後に甥の武庚(禄父)が周に反乱を起こし誅殺されると、摂政の周公旦は旧殷領を二分して、東部の宋に微子啓を封じて殷の遺民を治めさせた。初代宋公となった微子啓は若い頃から賢哲であったので殷の遺民達もこれを尊崇し、国はよく治まった。彼には子がなく、『史記』では弟の微仲衍が跡を継いだとなっている。
”
後半の<走風湮。>はおそらく、史実とは少し違うが<俗世間を去って風と雲の世界に行った>といったところだろう。
西伯朝商囚羑里 - 西伯は商(殷)朝によりて羑里に閉じ込められ
微子抱器走風湮。 - 微子は商(殷)朝の祭器を持ち出して武王に下り、後風湮の世界に暮らす。
この二句はほとんど関係ない。時間的にもかなり離れている。<西伯朝商囚羑里>は第十一回の<羑里城囚西伯侯>に出てくる。西伯は姬昌、そして文王のこと。
姬昌(前1152年―前1056年),姬姓,名昌,岐周(今陕西岐山县)人。周朝奠基者,周太王之孙,季历之子。中国历史上的一代明君。其父死后,继承西伯侯之位,故称西伯昌。在位四十二年后,正式称王,史称周文王。この文王はあとで出てくるが、第二十三回の<文王夜夢飛熊兆>という話の主人公でもある。また上で触れた<伏羲八卦>の改定版とも言うべき<文王八卦>の発案者でもある。
<抱器> は<武王克殷後,微子持祭器造於武王軍門,“肉袒面縛,左牽羊,右把茅,膝行而前以告。於是武王乃釋微子>(史記·宋微子世家))と言う話に基づいている。
Japan-wikiの<微子>には次のような解説がある。
”
微子啓(びしけい)は、中国の殷の王族。帝乙の長子。微は封じられた国名、子は子爵、啓が諱である。(略)
生涯
帝辛(紂王)の長兄であったが、庶長子であったために王位を継承せず、微に封じられて微子啓と呼ばれた(『史記』「殷本紀」)。(中略)
彼は穏やかな性格で人望があった。末弟の紂王が乱暴な政治を繰り返して行うのを何度も諫め、周との戦いでは和睦を主張したが、全く聞き容れられなかった。そこで一命を国に捧げようか、それとも殷の祖廟を絶やさないために国を去ろうか迷い、殷の楽官の太師・少師に問うた。すると両人とも彼に立ち去ることを勧めたので、微子啓は同母弟の仲衍と共に国を去って封地の微に帰った。
後に紂王が牧野の戦いで周に敗れた後、武王の軍に赴き弟の仲衍と共に降伏を申し出た。その時に微子啓は諸肌を脱ぎ、両手を背後で縛り、左手で羊を引き、右手で茅を取って膝(ひざま)ずいたという。武王は快く微子を許した。
後に甥の武庚(禄父)が周に反乱を起こし誅殺されると、摂政の周公旦は旧殷領を二分して、東部の宋に微子啓を封じて殷の遺民を治めさせた。初代宋公となった微子啓は若い頃から賢哲であったので殷の遺民達もこれを尊崇し、国はよく治まった。彼には子がなく、『史記』では弟の微仲衍が跡を継いだとなっている。
”
後半の<走風湮。>はおそらく、史実とは少し違うが<俗世間を去って風と雲の世界に行った>といったところだろう。
ところで、<牧野の戦い> は歴史的に重要な戦闘だと思うが封神演義ではカットされている。最も封神演義の戦闘場面は超人(仙人)たちの戦闘で、普通人の間の戦闘場面はほとんど出てこない。この古詩の最後の方に<甲子昧爽會牧野,前徒倒戈反回旋。>と牧野がでてくるが、これは封神演義では出てこない。
皇天震怒降災毒, - 天は大いに怒りて災害を降らし、
若涉大海無淵邊。- 果てしなき大海を渡るがごとし。
天下荒荒萬民怨,- 天下は大荒れ万民は怨む。
子牙出世人中仙,- 子牙は人界に降り入りたる仙人にして、
終日垂絲釣人主,- 終日釣り糸を垂れて主人を待ち、
いわゆる<太公望>の逸話で、歴史的には<呂尚>のことだが、呂尚の名はでてこず封神演義 では(姜)子牙だ。下記Japan-wiki<呂尚>を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E5%B0%9A
飛熊入夢獵岐田,- (文王)飛熊が夢にいで、のち西岐の野で猟(かり)をする。
第二十三回に<文王夜夢飛熊兆>という話がある。<飛熊>は(姜)子牙の道士としての号。
<獵岐田>はJapan-wiki<呂尚>に次のような逸話がある。
”
文王は猟に出る前に占いをしたところ、獣ではなく人材を得ると出た。狩猟に出ると、落魄して渭水で釣りをしていた呂尚に出会った。二人は語り合い、文王は「吾が太公が待ち望んでいた人物である」と喜んだ。そして呂尚は文王に軍師として迎えられ、太公望と号した。3つの逸話の中で一般に知られているのは、この説である[17]。陝西省宝鶏には太公望が釣りをしたという釣魚台があり、観光地となっている。
” 一方中国語版(繁体字)では
”太公釣魚,願者上鉤
據民间故事传說,呂尚在不得殷商諸侯所賞,至渭水釣魚,希望能遇見明主[4]。姜子牙用直線無彎折的金屬絲釣魚。三個月後,周文王出巡至渭水邊時發現姜子牙。
周文王見呂尚的魚鉤是直的,好奇問之:「漁人所用之鈎是曲,奈何公之鈎為直?」(釣魚的人所用的魚鉤是彎的,為甚麼你用的魚鉤是直的呢?)呂尚對曰:「吾之鈎,願者上鉤爾兮!」(我的魚鉤,是願者自己想上鉤的)太公又呼曰:「願者來,不願者去焉爾!」(願者就來,不願的人就隨便他吧)周文王大驚,心想:「莫不是指吾乎?吾正是為求才而至此。」(應該不會就是指我吧? 我就是為了求才才來這裡的),又云:「吾輩有眼無珠,實為失禮。」呂尚說:「無妨。」周文王又問曰:「紂王無道,民不聊生,願公擔任吾之師,可否?」(紂王無道,使民眾受苦受難 民不聊生,希望先生擔任我的老師,可以嗎?)呂尚應允。周文王請呂尚上車,屏退拉車手,親自將呂尚請回都城,路程約八百步,呂尚便推算出周之國祚約八百年,竟也成真。
周文王過世後,呂尚輔佐周武王伐紂,一匡天下。
虽然这个故事并不见于正统史籍记载,更加可能是后世野史小说的虚构,它仍然在民间流传甚广。於是就有一句歇後語:「太公釣魚,願者上鉤」,源頭即來於此。
”
と言う逸話になっており、かなり違う。 封神演義の姜子牙の釣りの場面はこれまたかなり違う。これは読んでもらおう。
詩では
終日垂絲釣人主,飛熊入夢獵岐田,
となっているが <終日垂絲釣人主>の主語は姜子牙で、<飛熊入夢獵岐田>の主語は文王。意味を重視すると
文王は夢に飛熊が現われ、西岐の野で猟(かり)をしする。しかして姜子牙は(西岐の野の川で)終日釣り糸を垂れて主人を待つ。
となる。何れにしても、この個所だけではないが、背景がわからないと詩は簡潔過ぎてその内容はよくわからない。
共載歸周輔朝政,- 子牙文王について周に帰し朝政を輔(たす)く。
三分有二日相沿。- 天か三分なれど、その二分はすでに周に帰し、日に日に増す。
封神演義では<三分天下,二分歸周”>、<三分天下,周土已得二分,八百諸侯,悅而歸周,吾今保武王,滅紂王,>といった表現が繰り返し出てくる。
文考末集大勳沒,- 父文王は周朝創建半ばにして逝き
武王善述日乾乾。- その子武王はこれを引き継ぎ日々休みなく働く。
下記解説参照
文考未集:周文王功业未完。文考,是周武王伐纣时于行文中对父亲周文王的称谓。《尔雅》:父为考。
夫孝者,善继人之志,善述人之事者也。《礼记·中庸》
〔译文〕所谓孝,就是善于继承前人的遗志,善于叙述前人的事业。
日乾乾:日乾夕惕. 【拼音】:rì qián xī tì. 【釋義】:形容自早至晚勤奮謹慎,不敢懈怠。乾乾,自強不息貌;惕,小心謹慎。 【出處】:語出《易·乾》:“君子終日乾乾,夕惕若厲,無 ...
孟津大會八百國,取彼凶殘伐罪愆。
甲子昧爽會牧野,前徒倒戈反回旋。
若崩厥角齊稽首,血流漂杵脂如泉。
戒衣甫著天下定,更於成湯增光妍。
牧馬華山示偃武,開我周家八百年。
この個所は本文の封神演義ではもう最終場面で、詩では相当部分が飛ばされているがこの<飛ばされている>ところが封神演義の主要部分で、また牧野の戦いは本文には出てこないのでこの古詩の方が歴史に忠実といえる。
愆[qiān]:罪行,罪过。
昧爽:拂晓,黎明。
倒戈[dǎo
gē]:指军队反叛。《书·武成》:前徒倒戈,击于后以北。
厥角[jué jiǎo]:谓兽之角。厥,其。《书·泰誓中》:“百姓懔懔,若崩厥角。”孔颖达〔注疏〕:“以畜兽为喻,民之怖惧,若似畜兽崩摧其角然。”
偃武[yǎn wǔ]:停息战争,罢武。
厥角[jué jiǎo]:谓兽之角。厥,其。《书·泰誓中》:“百姓懔懔,若崩厥角。”孔颖达〔注疏〕:“以畜兽为喻,民之怖惧,若似畜兽崩摧其角然。”
偃武[yǎn wǔ]:停息战争,罢武。
孟津大會八百國 - 孟津に八百國諸侯が集い
取彼凶殘伐罪愆。- 紂王の凶悪残忍を取り除き、その罪咎(とが)を征伐す。
甲子昧爽會牧野 - 時は甲子の日の夜明け、牧野に会戦す。
前徒倒戈反回旋。- 殷軍の前行く指揮隊は反旗をひるがえして旋回す。
若崩厥角齊稽首 - あたかも獣のつのが崩れるように皆の首がはねられ
血流漂杵脂如泉。- 血は川のように流れて杵が漂い、脂は泉のごとく湧き出る。(<血流漂杵>は四字成語)
戒衣甫著天下定
- 衣をかえて天下まさに定まらんとし
更於成湯增光妍。- 成湯(殷)に更(かわ)りて光り増す。
牧馬華山示偃武,- 牧場の馬と華山は戦いの終わりを告げ、
開我周家八百年。
- ここにわれらが周朝八百年が開かれたり。
----------------
(注1)
Japan wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%81%E7%A5%9E%E6%BC%94%E7%BE%A9
評価
四大奇書として古くより『西遊記』、『三国志演義』、『水滸伝』、『金瓶梅』が挙げられるが、本書の評価はこれらより一段低いものとなっている。魯迅は 「『水滸伝』に比べたら幻想的に過ぎ、『西遊記』に比べたら雄偉さに欠け、今に至るまでこの二作品と同列であると見なした者はいない」と評している。ま た、斉祐焜は「『封神演義』は思想面でも芸術面でも、作者が意図した『小説界に於いて水滸伝と西遊記と共に鼎立する』という抱負を果たすことは到底できな かった」と評している。一方で「だがそれでも『封神演義』は中国小説史で一定の重要な地位を占める」とも記している。
文学面での評価が低い理由として、中国文学研究者の二階堂善弘は、文体のぎこちなさ(堅苦しい文言体を必要以上に多用する)、ストーリーの欠陥(太公望が天数(天命)と称して自分の行為を過度に正当化する、典型的な悪臣として描かれている費仲や尤渾まで他の登場人物と一緒に封神される)、時代考証の無視(商周時代に存在しない神仙・人物が登場する) などを挙げている。
以上のように、『封神演義』は二流の文学作品とされている。しかし、中国の民間信仰に与えた影響はきわめて大きく、従来の神々であっても本書で改変された名前や格好で神像が作られたり、本書が初出とされる通天教主や申公豹などが従来の神々に混じって信仰の対象になったりしており、明代以降の宗教文化を研究する際には特に重要な作品であるといえる。
(注2)
何故場違いのような伊尹という人物がここに挿入されているかというと、伊尹は平民、さらには奴隷(農奴)の出身というにもかかわらず仁者政治家として有名人なのだ。商(殷)朝建立時に長らく丞相(摂政)を務た。
論語の<顏淵>に次のような話がある。
樊遲問仁。子曰:「愛人。」問知。子曰:「知人。」樊遲未達。子曰:「舉直錯諸枉,能使枉者直。」樊遲退,見子夏。曰:「鄉也吾見於夫子而問知,子曰,『舉直錯諸枉,能使枉者直』,何謂也?」子夏曰:「富哉言乎!舜有天下,選於眾,舉皋陶,不仁者遠矣。湯有天下,選於眾,舉伊尹,不仁者遠矣。」
<徳、 仁>は封神演義の表面上のキーコンセプト。
それに高貴でない身分の出身ながら王を補佐するようになるところは姜子牙(呂尚、太公望)と似ている。
(注3)
<網開三面>は、日本人にはほとんどなじみがないが、成湯のこの故事にもとづく四字成語。
成語故事: 帝王世紀:湯出,見羅者方祝曰:『自天地四方,皆入吾羅。』湯曰:『嘻!盡之矣!』乃命解其三面,祝曰:『欲左,左;欲右,右,不用命,乃入吾羅。』諸侯聞之曰:『湯德至矣,及禽獸。』此即商湯將捕鳥者所立的四面網放開三面,只留一面的故事。
<羅者>は)獲物をとるために網を張る者の意。
sptt
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