Monday, April 18, 2016

封神演義 忠誠(忠義)心につて


<封神演義   第二回   冀州侯蘇護反商>の<注1>で次のように書いた。


(注)の付録としての解説が長くなり、横道にそれるので、諫言と忠誠(忠義)心については、特に忠誠(忠義)心については別途あらてめて考えてみるつもり。裏切りに関連して忠誠(忠義)の欠如を指摘する紂王の<なじり言葉>に対する裏切り弁護の<決まり文句>も用意されているのが中国らしい。そしてこのような<決まり文句>が、封神演義のストリー展開では、行動を起こす大きな動機、要因になり、<決まり文句>は行動規範ともいえる。もっとも、見方によっては口実、言い訳といえる。

” 

<不義>という言葉はよく出てくるが、日本語では忠誠心と忠義心は少し違うようfだ。日本語では<国、君主に忠誠を誓う>はいいが、<国、君主にを誓う>はおかしい。また<友人にを尽くす>はいいが<友人に忠誠を尽くす>はダメではないが少しおかしい。忠誠心のほうが忠義心より社会性があるようだ。

忠誠(忠義)心は封神演義の大きなテーマの一つだ。 封神演義は勧善懲悪の小説なので、ややこしいが不徳天子の紂王への忠誠は、勧善懲悪からすると、忠誠に矛盾がでてくる。封神演義の中心テーマは勧善懲悪にもとづく反商(反殷王朝)だ。これに対して大物では<忠心耿耿>な太師聞仲の殷王朝に対する愛すべき頑固なまでの忠誠心、主君の贈り物ということで、無残に処刑された我が子の肉で作ったハンバーグ(肉餅)を、それと知りつつ食べてしまう文王の忠誠心のほか、小物たちの忠誠心が随所にでてくる。反商組で取り上げられる忠誠(忠義)心は<(紂)王と家臣の義務は対等>という思想に基づくもの。すなわち、<(紂)王が家臣(臣下)に良くなければ、家臣(臣下)も王に対して良くなくてもいい、忠誠、忠義を果たさなくてもいい>とい考え方で、民主的な考え方といえる。しかし話はそう簡単ではない。特に太師聞仲に次ぐ位の武将と言える黃飛虎(武成王)の場合は紂王、殷(商)朝への忠誠と勧善懲悪の反商(反殷王朝)の間で悩む期間がある。妲己、紂王に妻を自殺させられ、妹を殺されるという状況下で(夫人進宮,不知何故,墜了摘星樓;黃娘娘被紂王摔下樓來跌死了)、子供たち、部下からは反商、父黃滾からは忠誠を迫られるのだ。

<太師聞仲の愛すべき頑固なまでの忠誠心>は読者の多くが感じることだろう。読者にこう感じさせるのは封神演義の作者の意図だろう。裏切り者たちの<反商、不義、不忠誠>の言い訳は太師聞仲の<忠心耿耿>な言動に比べると影が薄くなる。この<影が薄くなる>理由としては、

1)一般的に忠誠心の欠如、そして裏切りは世間から<節操がない>と見なさせる。

2)<反商、裏切り>した家臣、諸侯の<反商、裏切り>の理由説明は、かれらの発言のなかで、主に昔から言われているよく知られた、世間で通用している、紋切型の言葉の引用として出てくる。これは王権保持者の紂王に対抗するための一種の権威付けのためだろうが、あとから付けた口実、言い訳にきこえる。これらは発言の中の引用なので文章では二重括弧 』の中にある。

例をいくつかあげよう。

第二回 冀州侯蘇護反商

眾將聞言,齊曰:「吾聞『君不正則臣投外國』,今主上輕賢重色,眼見昏亂,不若反出朝歌,自守一國,上可以保宗社,下可保一家。」



私は『君主が正しくないと、家臣は外国に身を投じるもの』と聞いております、の意。


第八回 方弼方相反朝歌

黃飛虎見國政顛倒,。。。。。。。上前對諸位殿下言曰:「今日之變,正應終南山雲中子之言,古云『君不正,則臣生奸佞』。今天子屈斬太師杜元銑,治炮烙壞諫官梅伯,今日又有這異事。皇上清白不分,殺子誅妻,我想起來,那定計奸臣,行事賊子,他反在旁暗笑。可憐成湯 社稷,一旦丘墟,似我等不久終被他人所擄。」


昔から君主が正しくないと、奸臣や佞臣が出てくると言われれています、の意。

第十七回 蘇坦己置造蠆盆

膠鬲厲聲言曰:「『君乃臣之元首,臣是君之股肱。』又曰:「『亶聰明作元后,元后作民父母。』今陛下忍心喪德,不聽臣言, 妄行暴虐,罔有悛心,使天下諸侯懷怨,東伯侯無辜受戮,南伯侯屈死朝歌,諫官盡炮烙;今無辜宮娥,又入蠆盆。陛下只知歡娛於深宮,信讒聽佞,荒淫酗酒,真 如重疾在心,不知何時舉發,誠所謂大癰既潰,命亦隨之。陛下不一思省,只知縱慾敗度,不想國家何以如磐石之安。可惜先王克勤克儉,敬天畏命,方保社稷太平,華夷率服。陛下當改惡從善,親賢遠色,退佞進忠,庶幾宗社可保,國泰民安,生民幸甚。臣等日夕焦心,不忍陛下淪於昏暗,黎民離心離德,禍生不測,所謂 社稷宗廟非陛下之所有也。臣何忍深言,望陛下以祖宗天下為重,不得妄聽女侍之言,有廢忠諫之語,萬民幸甚!」

膠鬲は紂王に諫言した大夫(高官)で、蠆盆の刑を宣告され、摘星樓から飛び降りて自殺した。

『君乃臣之元首,臣是君之股肱。』は上に述べた<(紂)王と家臣の義務は対等>の思想で封神演義では何度もでてくる。<股肱>は今では聞かないが戦時中は天皇、国への忠誠心がらみからか使われていたようだ。
 

第十八回 子牙諫主隱磻溪

楊任奏曰:「臣聞治天下之道,君明臣直,言聽計從;為師保是用,忠良是親,奸佞日遠。和外國,順民心,功賞罪罰,莫不得當;則四海順從,八方仰德。仁政施於人,則天下景從,萬民樂業,此乃聖主之所為。今陛下信后妃之言,而忠言不聽,建造鹿臺。陛下只知行樂懽娛,歌舞宴賞, 作一己之樂,致萬姓之愁,臣恐陛下不能享此樂,而先有腹心之患矣。陛下若不急為整飭,臣恐陛下之患不可得而治之矣。主上三害在外,一害在內,陛下聽臣言。 其外三害:一害者東伯侯姜文煥,雄兵百萬,欲報父讎,遊魂關兵無寧息,屢折軍威,苦戰三年,錢糧盡費,糧草日艱,此為一害;二害者,南伯侯鄂順,為陛下無 辜殺其父親,大勢人馬,晝夜攻取三山關,鄧九公亦是苦戰多年,庫藏空虛,軍民失望,此為二害;三害者,況聞太師遠征北海大敵,十有餘年,今且未能返國,勝 敗未分,吉凶未定。陛下何苦聽信讒言,殺戮正士。狐媚偏於信從,讜言致之不問。小人日近於君前,君子日聞其退避。官幃竟無內外,貂璫紊亂深宮。三害荒荒, 八方作亂。陛下不容諫官,有阻忠耿,今又起無端造作,廣施土木,不惟社稷不能奠安,宗廟不能磐石,臣不忍朝歌百姓受此塗炭,願陛下速止臺工,民心樂業,庶 可救其萬一。不然,民一離心,則萬民荒亂。古云;『民亂則國破,國破主君亡。』只可惜六百年已定華夷,一旦被他人所虜矣。」


楊任も紂王に諫言した大夫(高官)で<剜二目(二つの目をえぐり取る)>の刑を受けたが、後日談がある。<奏曰>とあるので正式な建議だ。『民亂則國破,國破主君亡
。』 が出てくるまでに、<ほめことば>、<そしりことば>、<いさめことば>がかなり長いが枕詞のように置かれている。『民亂則國破,國破主君亡。』 民主的な考え方といえる。また出だしは二重括弧 』はないが<臣聞  . . . . . >とあるので、権威づけは薄いが、発話中の引用のようなものだ。

臣聞治天下之道,君明臣直,言聽計從;為師保是用,忠良是親,奸佞日遠。和外國,順民心,功賞罪罰,莫不得當;則四海順從,八方仰德。仁政施於人,則天下景從,萬民樂業,此乃聖主之所為。(臣は聞いております。天下を治める道とは君主は明、臣下は直、信頼できる臣の言(ことば)を聞き入れ、策に従う(注1)。補佐役を用い、忠良の臣を近づけ、奸臣、佞臣を遠ざける。外国と和し、民心に従い、功はほめ、罪は罰する。不適切なことはしない。しかして、四方八方あまねく従い、その徳を仰ぐ。仁政を人々に施せば、天下はこれに従い(注2)人々は皆苦なく生業を行う。これが聖主のすることでございます。

(注1)
言聽計從 (yán tīng jì cón)
【釋義】:聽:聽從。什麼話都聽從,什麼主意都採納。形容對某人十分信任。
【出處】:《史記·淮陰侯列傳》:“漢王授我上將軍印,予我數萬眾,解衣衣我,推食食我,言聽計用,故吾得以至於此。”
【例子】:鄧對於他也就和劉玄德之于諸葛孔明,幾幾乎是~的。(郭沫若《革命春秋·北伐途次》二十六)

(注2)  景從
如影隨形。 比喻追隨之緊或趨從之盛。


第二十回<散宜生私通費尤> の話は忠誠(忠義)、それに中国での賄賂問題を考える上でおもしろい。話はかなり長く、全訳は別の機会に譲るとして、関連個所を検討してみる。

西伯侯または姫昌(文王)は羑里城に七年ほど幽閉されており、長子の伯邑考(長子とはいっても正妻の子でないので跡継ぎには なっていない)が朝歌に赴いて紂王に父の幽閉を許してもらって国へ帰れるようにするくだりが前の話第十九回<伯邑考進貢贖罪>にあるのだが、結局妲己の嫉妬ともいうべき理由で殺され、しかもハンバーグ(肉餅)にされ、さらに紂王の案で父のもとにこのハンバーグが送られ、父はそれを食べさせられる、と言うグリム童話に出てきそうな話だ。姫昌の幽閉は明らかに冤罪(無実の罪)なのだが、姫昌は紂王、殷朝に対しては忠誠を貫き、息子の肉のハンバーグもそれと知りつつ食べてしまう。結局は文官の散宜生の費、尤二人への賄賂工作で姫昌は幽閉を解かれ、自国に帰ることになる。姫昌の忠誠(忠義)心については別のところで検討するとして、反商(殷)の言い訳の話に戻る。

 

第二十回  散宜生私通費尤

只見兩邊文武之中,有大將軍南宮适大叫曰:「公子乃西岐之幼主,今進貢與紂王,反遭醢屍之慘。我等主公遭囚羑里。雖是昏亂,吾等遠有君臣之禮,不肯有負先王;今 公子無辜而受屠戮,痛心切骨,君臣之義已絕,綱常之分俱乖。今東南兩路苦戰多年,吾等奉國法以守臣節,今已如此,何不統兩班文武,將傾國之兵,先取五關, 殺上朝歌,勦戮昏君,再立明主。正所謂定禍亂而反太平,亦不失為臣之節!」只見兩邊武將聽南宮适之言,時有四賢、八俊;辛甲、辛免、太顛、閎夭、祁公、尹積,西伯侯有三十六教習子姓姬叔度等,齊大叫:「南將軍之言有理!」眾文武切齒咬牙,豎眉睜目,七間殿上,一片喧嚷之聲,連姬發亦無定主。只見散宜生厲聲言曰:「公子休亂,臣有事奉啟!」發曰:「上大夫今有何言?」宜生曰:「公子命刀斧手先將南宮适拿出端門斬了,然後再議大事。」姬發與眾將問曰:「先生為何先斬南將軍?此理何說?使諸將不服。」宜生對諸將言曰:「此等亂臣賊子,陷主君於不義,理當先斬,再議國事。諸公只知披堅執銳,有勇無謀。不知老大王克守臣節,硜硜不貳,雖在羑里,定無怨言。公等造次胡為,兵未到五關,先陷主公於不義而死,此誠何心。故先斬南宮适,而後再議國是也。」公子姬發與眾將聽罷,個個無言,默默不語。南宮适亦無語低頭。宜生曰:「當日公子不聽宜生之言,今日果有殺身之禍。昔日大王往朝歌之日,演先天之數,七年之殃,災滿難足, 自有榮歸之日,不必著人來接。言猶在耳,殿下不聽,致有此禍。況又失於打點,今紂王寵信費、尤二賊,臨行不帶禮物賄賂二人,故殿下有喪身之禍。為今之計, 不若先差官一員,用重賄私通費、尤,使內外相應;待臣修書,懇切哀求。若奸臣受賄,必在紂王面前以好言解釋。老大王自然還國,那時修德行仁,俟紂惡貫滿盈,再會天下諸侯共伐無道,興弔民伐罪之師,天下自然響應。廢去昏庸,再立有道,人心悅服。不然,徒取敗亡,遺臭後世,為天下笑耳。」姬發曰:「先生之教為善,使發頓開茅塞,真金玉之論也。不知先用何等禮物?所用何官?先生當明以告我。」宜生曰:「不過用明珠、白璧、彩緞表裏、黃金、玉帶,其禮二分;一分 差太顛送費仲;一分差閎夭送尤渾。使二將星夜進五關,扮作商賈,暗進朝歌。費、尤二人若受此禮,大王不日歸國,自然無事。」公子大喜,即忙收拾禮物。



殷朝を倒して周王朝になる西伯侯の所領の大將軍南宮适の言い分。この個所二重括弧 』が無いので南宮适自身の意見ということになる。

公子乃西岐之幼主,今進貢與紂王,反遭醢屍之慘。我等主公遭囚羑里。雖是昏亂,吾等遠有君臣之禮,不肯有負先王;今公子無辜而受屠戮,痛心切骨,君臣之義已絕,綱常之分俱乖。今東南兩路苦戰多年,吾等奉國法以守臣節,今已如此,何不統兩班文武,將傾國之兵,先取五關, 殺上朝歌,勦戮昏君,再立明主。正所謂定禍亂而反太平,亦不失為臣之節!

公子: 長子の伯邑考のこと。
不肯有負先王: ここでは前後の内容から<殷朝の先王(たち)に対しては責任を負うことはしない>の意だろう。
君臣之義已絕,綱常之分俱乖: 君臣間の義は途絶え、綱常(三綱五常)(注3)はばらばらになっている。
 
(注3)綱常(三綱五常

これはよく出てくる決まり文句。ほかの箇所でも説明した。

三綱:君為臣綱,父為子綱,夫為妻綱。
五常:五種儒家認定的人倫関係的原則:仁、義、礼、智、信


細かく言うと、この前に<君臣之義已絕>とあるので、<君臣間の義>は重複している。

 このような状況であると<殺上朝歌,勦戮昏君,再立明主>してもいい、と言う主張だ。

<正所謂定禍亂而反太平,亦不失為臣之節!>は反語で、<正に、禍(わざわ)いと混乱を定常化し、太平に戻すのに反対する愚で、家臣の節度、常識を失っていいのか!>といった意だ。

武官や四賢、八俊はこの南宮适の主張に賛成するのだが、文官の長、上大夫の散宜生は反対して武王(文王の正妻の長子で跡継ぎ)に進言する。

宜生曰:「公子命刀斧手先將南宮适拿出端門斬了,然後再議大事。」姬發與眾將問曰:「先生為 何先斬南將軍?此理何說?使諸將不服。」宜生對諸將言曰:「此等亂臣賊子,陷主君於不義,理當先斬,再議國事。諸公只知披堅執銳,有勇無謀。不知老大王克守臣節,硜硜不貳,雖在羑里,定無怨言。公等造次胡為,兵未到五關,先陷主公於不義而死,此誠何心。故先斬南宮适,而後再議國是也。」


趣旨は<幽閉されている文王の立場や現状を考えずに無謀なことは避けた方がいい>という提案なのだが、<まず南宮适を斬れしかして議論を進めよ>と大胆ともいえる発言をしている。もっとも、これはこのあとに出てくる賄賂策による文王の幽閉解除の案があったためだろう。ここでも文王の紂王にたいする臣(諸侯)としての節操、<臣節>がでてくる。南宮适の実直だが、状況分析が浅い見通しと提案に比べると散宜生の提案は状況分析が深いと言える。南宮适、散宜生はこの後も登場してくる。文官、武官の対比も封神演義の読みどころだ。






Sunday, April 17, 2016

封神演義 妲己の美貌 - 美人、妲己の形容



封神演義では妲己が美人代表で、<決まり文句>ともいえる美人の形容が使われている。もちろんこれらは中国人が持つの美人のイメージのようだが、妲己、紂王が生き た時代の美人のイメージと封神演義の作者が生きた時代では美人のイメージ(これが封神演義の中で使われている)は実際違うだろう。唐時代の宮廷女性図と明清時代の仕女図では大きな違いがある。


第一 回 紂王女媧宮進香 から

紂王が女媧宮で女媧を見て作った詩の中にある
 
梨花帶雨
芍藥籠煙


はきまり文句だ。 ( 封神演義  第1回 紂王女媧宮進香-本文で解説済み。)


第二 回 冀州侯蘇護反商 から

全国から美女を集めようとした時の令(実際には発令されず)。

- 容貌端莊,情性和婉,禮度賢淑,舉止大方   (<大方>はゆったりしている様)

費仲が紂王に冀州侯蘇護に美女の娘(妲己)がいることを報告する場面
 
- 豔色天姿,幽閒淑性  
<幽閒>は
yōuxián
(1) [be gentle and serene]∶ 形容[女子] 安詳文雅
(2) [be leisurely and carefree]∶ 適自得

という解説がある。

紂王が冀州侯蘇護にその旨を伝える場面
- 德性幽閒,舉止中度 

以上は容貌もあるが性格、所作も含まれている。 日本語では<容姿端麗>というのがある。


第四 回 恩州驛狐狸死妲己 から

妲己が朝廷に行くために家を出る場面

- 真如籠煙芍藥,帶雨梨花。

ここでまた<籠煙芍藥,帶雨梨花>が出てくる


紂王が初めて妲己を目にした場面
- 見妲己烏雲疊鬢,杏臉桃腮,淺淡春山,嬌柔柳腰,真似海棠醉日,梨花帶雨,不亞九天仙女下瑤池,月裏嫦娥離玉闕。妲己啟朱唇似一點櫻桃,舌尖上吐的是美孜孜一團和氣,轉秋波如雙鸞鳳目,眼角裏送的是嬌滴滴萬種風情。

ここはかなり長い形容だ。 <杏臉桃腮,淺淡春山,嬌柔柳腰,真似海棠醉日,梨花帶雨>の箇所は下記 Site に写真付きの詳しい説明がある。

http://read01.com/4dKe3G.html


<海棠醉日>がわかりずらい、目に浮かびずらいが、下記の箇所の説明と写真が参考になる。

前面還提到海棠,這是一個非常惱人的植物,我提過好多次,首先要分清一個概念,那些草本的秋海棠、四季海棠什麼的千萬別扯進來,不搭界。這 裡講木本的薔薇科海棠。
平日裡說的海棠其實分兩類,一類是海棠屬、一類是木瓜屬(熱帶的番木瓜也別扯進來)。海棠屬包括海棠、垂絲海棠、西府海棠等等,還有蘋果也是海棠屬的,比 如我以前寫過文章把垂絲海棠的果叫小蘋果,這類海棠花都是有梗的,注意,很好記,蘋果是不是有梗啊,你就記住它們都是海棠一家的,都是海棠屬 的。木瓜呢, 也是一個專門的屬,有木瓜、日本木瓜、皺皮木瓜等等,但在平常一般被叫做日本海棠、貼梗海棠、木瓜海棠等,其實它們不是海棠,這些都是沒有花 梗的,或者說 花梗很短。
為什麼會有這般混淆,是因為有一個海棠四品的說法,就是有四種海棠,西府海棠、垂絲海棠、木瓜海棠、貼梗海棠,其實前兩個是海棠,後兩個是木瓜。

海棠はいろいろな種類がある。秋海棠とは違う。海棠醉日は文字通りでは<日に酔った海棠>だが、<梨花帶雨>と対句であるとすると、 この<日>はそれほど強くない<春の日>だろう。<梨花帶雨>ほどの<決まり文句>ではない。

木瓜は日本では<ぼけ>とも発音し、 <ぼけの花>は<春の日>と相性がよさそう。

海棠の英語名(common names)はAsiatic apple, Chinese crab, Chinese flowering apple で白、ピンク、淡い赤のリンゴの花のようで、木の花。秋海棠はbegoniaで草の花。リンゴの花も梨の花も楚々とした可憐(かれん)な花だ。したがって妲己はバケモノとはいえ、見かけ上は楚々とした可憐な女性ということになる。


九天仙女と嫦娥
九天仙女も嫦娥も中国神話に出てくる女性だが、絶世の美人のイメージがないといけない。

九天仙女:意思是指指天上的仙女,比喻绝色美女。
嫦娥中國神話人物,美貌非凡,溫柔賢慧,風流仙子,為后羿之妻。神話中為了保持年輕美貌偷食西王母賜予后羿的不死藥而奔月。

秋波
今はほとんど死語だが<秋波>(秋波を送る)は日本語になっていた。


第七回 費仲計廢姜皇后 から

妲己が歌を歌い舞を舞う場面

妲己歌舞起來。但見:
霓裳擺動,繡帶飄揚,輕輕裙裷不沾塵,嬝嬝腰肢風折柳。歌喉嘹喨,猶如月裏奏仙音;
一點硃唇,卻似櫻桃逢雨濕。尖纖十指,㨪如春筍一般同;杏臉桃腮,好像牡丹初綻蕊。
正是: 瓊瑤玉宇神仙降,不亞嫦娥下世間。

 ここもかなり長いが

腰肢風折柳 - <嬌柔柳腰>というのが上にある。柳腰(やなぎごし)>は日本語になっている。

一點硃唇、櫻桃逢雨濕 - <啟朱唇似一點櫻桃>というのが上にある。

杏臉桃腮 -  これも上に出てきている。<決まり文句>のようだ。

不亞嫦娥下世間 - <月裏嫦娥離玉闕>というのが上にある。

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封神演義に出てくる美人、妲己の形容については以上で大体カバーできそうだ。ところで、参考に<坊ちゃん>のマドンナの形容を示しておく。紋切型ではない。<坊ちゃん>では中国の美人形容使っていない。漱石は中国文学の素養が深かったので当然中国の美人形容は知っていはずだ。実際<坊ちゃん>のなかにマドンナに関連してして、妲己そのものではないが妲己の名が出てくる。だが<妲己のお百>という歌舞伎に出てくる恐ろしい女としてだ。


 「まだご存知ないかなもし。ここらであなた一番の別嬪(べっぴん)さんじゃがなもし。あまり別嬪さんじゃけれ、学校の先生方はみんなマドンナマドンナと言うといでるぞなもし。まだお聞きんのかなもし」
「うん、マドンナですか。僕あ芸者の名かと思った」
「いいえ、あなた。マドンナと云うと唐人(とうじん)の言葉で、別嬪さんの事じゃろうがなもし」
「そうかも知れないね。驚いた」
「大方画学の先生がお付けた名ぞなもし」
「野だがつけたんですかい」
「いいえ、あの吉川(よしかわ)先生がお付けたのじゃがなもし」
「そのマドンナが不たしかなんですかい」
「そのマドンナさんが不たしかなマドンナさんでな、もし」
「厄介(やっかい)だね。渾名(あだな)の付いてる女にゃ昔から碌(ろく)なものは居ませんからね。そうかも知れませんよ」
「ほん当にそうじゃなもし。鬼神(きじん)のお松(まつ)じゃの、妲妃(だっき)のお百じゃのてて怖(こわ)い女が居(お)りましたなもし」
「マドンナもその同類なんですかね」
...............


おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水晶(すいしょう)の珠(たま)を香水(こうすい)で暖(あっ)ためて、掌(てのひら)へ握(にぎ)ってみたような心持ちがした。



(付録) 妲己の義妹で胡喜媚の美人の形容
 
第二十六回 <妲己設計害比干>に妲己の義妹で胡喜媚が出てくる。義妹とはいえこれまた美人で、その形容を抜き出してみる。

妲己忙催紂王進裏面,曰:「喜媚 來矣。俟妾講過,好請相見。」紂王只得進內殿,隔簾偷瞧。只見風聲停息,月光之中,見一道姑穿大紅八卦衣,絲絛麻履。況此月色復明,光彩皎潔,且是燈燭輝 煌,常言「燈月之下看佳人,比白日更勝十倍。」只見此女肌如瑞雪,臉似朝霞,海棠丰韻,櫻桃小口,香臉桃腮,光瑩嬌媚,色色動人。

形容は
妲己の場合とほぼ大体似たりよったりで<肌如瑞雪,臉似朝霞,海棠丰韻,櫻桃小口,香臉桃腮,光瑩嬌媚,色色動人>という美人だ。

常言「燈月之下看佳人,比白日更勝十倍。」: よく言われるように灯(ともしび)や月明りにみる美人は白日の下で見る美人より10倍キレイに見える>ものだ、の意。これは妲己の美人描写にはなかった。


もっとも、胡喜媚も妲己と同じく妖精、あるいはバケモノでもともとは雉雞精、雉と鶏の類なのだ。



sptt

Thursday, April 14, 2016

封神演義 第2回 冀州侯蘇護反商 (日本語訳、解説付き)

封神演義

 
第二回  冀州侯蘇護反商


詩にいわく:

丞相金鑾直諫君, - 丞相や翰林學士は主君を諫(いさ)める。
忠肝義膽孰能群。 - それは強い忠義心からだが、忠義心はときにうまく働かぬ。
早知侯伯來朝覲,   - 諸侯が来朝して天子にまみえ諫めるも、
空費傾葵紙上文。 - 忠義心はいたずらに紙の上の文字となる。 (注1)

紂王はこの提案を聞いて大いによろこび、すぐに宮殿に戻った。そして一夜明けた翌日早朝、文武兩班が皆朝賀をおえると紂王は御車官に伝えた。「即、朕の主旨を伝えよ。すなわち、四鎮諸侯それぞれに、各鎮(地方)ごとに、貴賤(きせん)を問わず、ただし容姿は端麗、性格は柔和、礼儀は正しく、賢く淑(しと)やかで、動作はゆったりした良家の美女百名を選んで以後宮廷務めのため朕のもとに送ること。」 天子がまだこの旨(むね)を伝え終わらないうちに、左列の中から一人が発言しようとするのが見えた。ひれ伏して言った。「老臣商容陛下に申し上げます。君徳あれば萬民の暮らし苦しからず、命令無くして従います。陛下はすでに後宮に美女がいること千人を下りません。側室を上として、もともと正室(三)がおります。(注2) 今わけもなく美女を選びたいと申し出れば民は失望します。『民に樂を与える天子はは樂者であり、民もまた天子に楽を与う民に憂(うれ)いを与える天子は憂者であり、民もまた天子に憂い与う』と聞いております。このところ水害、干ばつが頻繁に起こっております。こと女色に関しては陛下はこれを取り上げない方がよろしゅうございます。堯、舜は民に楽を与えたのであり、徳によって天下を治め、戦争はせず、殺人も行わず。しかして景星は天上に輝き(注3)、甘露はふり注ぎ、鳳凰は庭におり立ち、芝草は野に生え、ものは豊か。行く人は道を譲り、犬は吠えず、雨は夜にふり、昼は晴れ。稲穂は倍に実る。これが徳ある天子がもたらす世の姿です。かたや、今陛下は目の前の快楽にふけり、女色に惑い、淫(みだ)らな声に耳を傾け、酒と女に浸り、庭園に出て遊び、野に出て狩り遊びをする。これが徳無き天子がもたらす世の姿です。老臣はおそれ多くも首相を務め、朝廷に加わり、三代の君に仕えておりますが、陛下に申し上げずにはおられません。願わくは、陛下賢き道を進み、悪き道から退き、仁と義を行い、道と徳を貫きください。しかれば、和気が天下にに満ち、自ずと民は豊かになり、天下は太平、四海は和樂、民とともに無窮の福を享受することになります。いわんや、北海での戦はまだ終結しておりません。正に徳を修め、民を愛し、浪費を控え、指令を重きものと思うべきです。堯、舜はただかくの如し。たかが側室、今必要ですか?必要ではないのです。(注4)後から楽しめばいいのです。臣は愚かにして言うべきではないかもしれませんが、何とど私めの意見をお受け下さるよう願い、祈ります。」紂王はしばらく考えてから言った。「卿の言葉よし。朕はこの計画はやめることにする。」と言い終えると,群臣は退き天子の車は宮殿に戻って行った。(注5) その模様は省略。

紂王の八年目の夏四月(旧暦で二か月弱のズレがあるから6月だろう)、なぜか不意に天下の四大諸侯が八百鎮の首領を率いて朝廷に参賀に来た。四大諸侯とは東伯侯の姜桓楚、南伯侯の鄂崇禹、西伯侯の姬昌,北伯侯の崇侯虎だ。(注6)天下の諸侯はみな都の朝歌にやって来たが、この時太師の聞仲は都に不在で、紂王は費仲、尤渾の二人をかわいがるように使っていた。各諸侯の多くはみなこの二人が朝政を牛耳り、権力を振るい、威張っているの知り、少なからぬ贈り物と賄賂でコネを作ろうとした。正にいう「天子にまみえる前には,まず相公にまみえよ」だ。諸侯の中に冀州侯で、姓は蘇、名は護という者がいたが、この人物、性は生まれながらに烈火のごとく、堅物で正直者。みな競ってコネを付けて高い職位と利益しようとしているのを知っていたが、昔から不公平、不法な行いをしたことなく、法に従って処分をして仮借することがなかった。したがってこの二人に贈り物や賄賂は送らなかった。しかして起こるべきことは起こるもので、ある日この二人が天下諸侯からの贈り物を調べると、はたして蘇護からだけ贈り物がなかった。心中大いに怒り、恨みに思ったが、これについてはこれ以上語らない。

其の日は正月元旦の喜ばしき朝、天子は早朝に文武両班を集め、皆が拜賀が終わると。黃門官が陛下に伝えた。「今年は朝賀の年で、天下の諸侯がみな午門外で朝賀し,陛下の玉音を聞こうとしております。」 紂王は首相の商容に問うたところ、容いわく「陛下は四鎮の首領を呼んで顔を見せるだけにとどめましょう。民風土俗をたずねもとめると、民は淳朴で忠厚、かたや名利を求めて軽薄なところもあり、国を治めるためには(注5)、その他の諸侯たちに午門外で朝賀させたらいかがです。」天子これを聞きて大いに喜び、「卿の言葉極めて善し。」と言い、黃門官を通じて天子の意を伝えた。「四鎮の諸侯とは呼んで顔を合わす。その他は午門で朝賀する。」

四鎮の諸侯は朝服を着こなし,玉珮を揺らしながら午門に進み、九龍橋を行き過ぎ、朱塗りの壁の天子のいる宮に着いたところで<万歳、万歳>と言った後ひれ伏した。王は彼らをねぎらっていった。「卿等は朕に代りて、道を広め、法を敷き、民の讚美と教化を行い(注7)、民に安らぎを与え、荒ぶり反抗する者たちを鎮圧して治め、遠き地に威を張り、近き地を安くし、労多し。これ皆卿等の功であるぞ。朕は心から喜ぶ。」 東伯侯が申し出て言った。 「臣等は天子の恩を受け、地方を治める官位を授かっております。臣等は職務を自ら受けておりますが、日夜戦々恐々としており、職務の重さにたえられないのではと恐れております。天子様に対しては罪があります。臣等には犬馬のささやか労があり、臣子としての責任がありますが、はるかに力及びません。陛下の助けが得られ臣等は感激至極でございます!」 天子は龍顏に大きな喜び浮かべ,首相の商容、亞相の比干に命じて顯慶殿で歓迎の宴を催す支度をさせた。四臣は頭をさげて感謝の意を表し、朱塗りの壁を離れて顯慶殿に行き,相次いで宴席に臨んだ。その模様の描写は省略。

天子は朝庭から退き休憩用の別殿に着くと,費仲、尤渾の二人を呼んで問うた。「以前卿は朕に,天下の四鎮大諸侯に美女を差し出す案を申し出、朕はその旨を出そうとしたが、商容のやめるようにとの諫めを受けてやめた。ところで今四鎮の諸侯はここにおる。明日朝早くに召し入れて直接その旨を出したらどうか? 四人が国に戻り、美女を選んで差し出させる使いを送る手間がはぶけるが、二卿の意見はどうか?」 費仲はひれ伏して言った。「首相が美女選びをやめるように申し上げ、陛下はその日に受け入れられ、即実行をとりやめたわけで、これは美徳です。このことは下臣も民も皆知るところで、天下は見上げた行いと見ております。今またこれに反して実行すれば、それは陛下の臣民に対するし信用を失くすことになります。切におやめください。ところで臣が最近知りえたところによりますと、冀州侯の蘇護に一女があり、姿あでやかにして、所作は優雅、性格はしとやか、と聞いております。もし選んで宮殿に入れ、随時そばにおかせて陛下のお世話をさせてはいかがでしょうか。たかだか一人の女性を選びとるのであれば、人々が騒ぎだてするおそれはありませんし、そもそも人の耳や目にはいることもないでしょう。」 紂王これを聞き、思いがけず喜んで言った。「卿の言極めて善し!」 すぐに隨侍官に命じて「蘇護を呼べ。」の旨を伝えさせた。命の使いは宿舎に来てこの旨を伝えた。「宣冀州侯蘇護、国政を論ずべく天子のもとに参れ。」 蘇護はすぐに隨命の使いの者に従って龍德殿に来て朝見。礼が終わると、ひれ伏して命を聞いた。紂王いわく 「朕聞く、卿に一女あり。性格はしとやか、挙止は優雅。後宮に呼んで朕に侍(はべ)らしたいがどうか?卿にとっても国威が揚がり、天祿で食え、爵位を受け、永久に冀州を治め、安楽を享受でき、名は四海に知れ渡り、天下の羨望の的となる。卿の意は如何(いか)に?」と。蘇護はこれを聞き、きっぱりと(注8)申し上げた。「陛下は宮中に上は正室たち、下は嬪御が数千を下りません。美女がたくさんおります。(注9) 耳目を楽しませるのに何の不足がございましょうか? 私は聞いております。まわりの人たちが諂諛(ついしょう)の言葉で陛下を不義に陥れている。臣の娘は蒲柳のたち、行き届かない女です。もとより礼儀も知りません。性質も取るに足りません。陛下におかれましては根本に留意されんことを。讒言をする小人は斬り殺し、後世天下に陛下の正心修身の姿を伝え、諫言を受け入れ、好色の君でないことを伝え知らせることほど、美しいことがありましょうか!」 紂王は大いに笑っていわく「卿の言うことははなはだ常識をを知らぬ、というものだ。古来より今まで,誰が娘を朝廷の内に入れることを願わなかった者がいるか? 況んや正室としてその位は天子に匹敵する。(注10)卿は皇族となって国戚が高まり、赫赫(かくかく)たる栄華(注11)、これにしくはない(注12)! 卿よ、思い迷うことはない。みずからよく考えて決めよ。」 蘇護はこれを聞いて、知らずうちにこれまたきっぱりと言った。(注8):「臣は民の君たる者が德を修めて政を行えば、すなわち万民は喜んで服し、四海あまねく従い、天祿は永く続く、と聞いております(注13)。その昔夏朝の失政がありましたが、酒と色におぼれた荒れた日々を送ったためです。我らの先祖が踊りや歌や女性から遠ざかり、私利を追わず、しかして大いなる德ある者に大いなる官位を与え、大いなる功ある者に大いなる賞を与え、寛容にして慈悲深かったからこそ夏を征伐すことができたのです(注14)。その信はあまねく民に知れ渡り、国は栄え、其の天命は永遠です。しかして今陛下は先祖の道を取らずに(注15)、夏王の道を取っていますが、これは敗者の道を取っていることになります(注16)。況や民の君たる者が女色を愛せば、必ずや社稷を転覆させます。高官、大臣が女色を愛せば、必ずや宗廟を絕滅させます。庶人が女色を愛せば、必ずやその身を滅ぼします。君たる者家臣の手本となるべきところ、逆に主君が道をはずせば、臣下も道をはずのです。(注17) しかして悪いことは一斉に起こるもので(注18)天下の出来事、それでも我慢できると言うのでしょうか(注19) 臣は商家(殷朝)六百余年の基業、必ずや陛下がこれを崩すのではと恐れています。」 紂王はこの蘇護の言葉を聞くと、突然大いに怒って言った。「君主命じる。即刻だ(注20)。君主死を賜(たまわ)す。違(たが)えるな。況やその一女を后妃に選んだというのに!はなはだしき雑言をもって天子に逆らう諫言を天子に直言し(注21)、朕を<亡國之の君>と見なす発言、これ以上の大不敬はない!侍官に従って午門に引き連れ出し、正法に照らして裁くよう法司に送れ!」 左右に付き添う武将たちが蘇護を連れ出した。費仲、尤渾の二人が出てきて上殿し伏して申しあげていわく「蘇護天子に逆らう諫言をしましたので、この件は裁にかけるべきです。但し陛下、もとよりその娘を侍らすよう選んだわけですから、もし罪を得たら、天下に知れわたり、陛下は賢者を軽んじ女色を重んじる、と言うでしょうから、うわさが広がるのを止めなければなりません。ここは許して帰国させた方がいいでしょう。さすれば彼は殿下の不殺の恩を感じます。すると自然にその娘を宮殿に差し出し殿下に侍らすでしょう。しかして民は陛下の寛大さ、仁徳の大きさ、諫言を受け入れる度量(注22)、そして陛下は功ある家臣を大事にするのだということ知ることになります。これまさに一挙両得と言うものです。願わくは陛下臣の言うことに準じて行動されんことを。」 紂王これを聞き、その顔を少し晴らして言った。「卿の提案を受け入れよう。即刻赦免して帰国させよ。長らく朝歌に留め置かざるべし。」

天子の命令が一旦下されるや、それは峰火のごとく速やかに処理され、蘇護は即刻城から出され、とどまることは許されなかった。蘇護が朝廷を辞し駅停に戻り着くと、諸侯たちがみな天子との会見の模様について尋ねた。「天子様に呼ばれて朝廷に登ったが、会見は何だったのか?」 蘇護は怒りながら、罵って言った。「道なき間抜け君主。先祖の德業を思いにかけず,讒臣の追従、媚(こび)の言葉を好んで信じ、私の娘を選んで朝廷に入れて妃としようというのだが、 これは費仲、尤渾が酒と色をもって天子の心を惑わして、朝政をほしいままにしようとしているのだ。私が聞くには、私は知らずうちに天子に諫言したが、間抜け君主は天子に逆らう諫言を直言したという罪を私に言い渡したし、司法行きとなった。ところが、この悪人二人がバカ天子に進言して、私の罪を許して帰国ということなったが、これは私がバカ天子の<殺さずの恩>に感じ入って娘を朝廷に入れるだろう、という算段なのだ。私は、この二悪人が聞太師が遠征中なのをいいことにして権力をもてあそび、腑抜け天子を酒と色におぼれさせ、朝政を混乱させ、天下を荒廃させ、民を苦しませ、悲しくも成湯の社稷をなきものとしているのだ、と見ています。私自身はこう思います。すなわち、もし娘を朝廷に入れなかったならば、あの間抜け君主は必ずやまた罪を追及をするでしょう。もし娘を朝廷へ送ったら、バカ天子の失德天子となり,天下の人々に恥をさらし嘲笑されるのでしょうか。私にはよくわかりません。みなさん、もし何かいい策があればお教え願いたい。」皆はこの言葉を聞いてそろって言った。「われられは聞いている 『君主不正なれば則ち臣は国の外に身を投ず投ず』 と。今君主は賢き者を軽んじ、好色を重んじて、乱れきっているようですので、反商(殷朝)に出るにしくはないでしょう。そして自らその国を守り、しかして上は宗社を守り、下は一家を守るべきです。」 この時蘇護は正に怒りの盛り、このことを聞くと、気が立つのもわからず、思いもかけず言った。「みなさん、正しくないことはできないのだ。」と。そして左右に向かって「文房四宝を持って来い。午門の壁にわが永遠に反商(殷朝)の意を示す詩を書くのだ」 と叫んだ。その詩いわく:
 

君壞臣綱,有敗五常。冀州蘇護,永不朝商!(君は臣綱を壊し、五常はやぶれる。冀州の蘇護,永遠に反商!)」(注24)

蘇護はこの詩を書き終えると、部下の家将を引き連れて朝歌を出て、自国に向かって去って行った。


しばらくして紂王は蘇護が面と向かって諫言したことなどで、願いが思いどうりにならなかった。「費、尤の二人の提案に従ったものの、蘇護が娘を朝廷に送って来て、男と女の楽しみがかなえられるかどうかはわからないではないか?」 と思い悩み心たのしからず、だった。そこへ午門の內臣がひれ伏して報告しに来たのが見えた。「臣が午門にて壁を見ると、蘇護が書いた反抗の詩十六文字がありました。隠すこと能わず、伏して報告もうしあげ、陛下のお裁きを乞う次第です。」 お付の者が詩の書かれた紙を皇帝の机の上に広げた(注26) 紂王はこれを見ると大声で罵って言った。「あの不届き者め、かくも無礼なことを! 朕が上天の生を尊ぶ德、悪党も殺さぬ徳を示して特赦して帰国させたてやったというのに、奴(やつ)め午門の壁に反朝の詩を書くとは、朝廷を辱(はずかし)めること極めて大なり。この罪は決して許されぬ!」 そして即刻命じた。「殷破敗、晁田、魯雄等の六師を従え、朕親征す。必ずやその国を叩き潰すのだ!」(注27) 駕官に魯雄等を出廷させるように命じた。ほどなく,魯雄等が朝見し、礼が済むと王は言った。「蘇護が反商の行いを起こし、午門に反商の詞を書いた。朝廷をはずかしめることはなはだしく、心に遺憾なこととりわけなり。法律、規律から受け入れ難し。卿等はすぐに人馬二十万萬をそろえて先鋒となり、朕自ら六師を率い、その罪を以聲其罪(注28)。」魯雄は聞きおえると、首をたらして考えた、「蘇護は忠実で良いひとだ。平素から忠義で、何事で天子に逆らい、天子みずから親征して冀州を征伐しようとは!」魯雄は蘇護のためひれ伏していった、「蘇護は陛下に対して罪を得たとはいえ、なにをわざわざ親征の労を取る必要がありましょうか。況や四大諸は都に滞在していて、帰国しておりません。陛下は征伐を命じ,蘇護を捕らえ、その罪を明らかにすれば、自ら征伐に行くの威を失うことはありませ。何んで遠い地に親征する必要がありましょうか。」紂王問いていわく、「四侯のうち、誰が征伐にいくのか?」費仲は傍らにいたが、前に出て言った、「冀州は北方の崇侯虎の属しています。侯虎に征伐を命じらたらどうでしょうか。」紂王はすぐに実行をを許した。魯雄は側にいて考えた、「崇侯虎は貪婪、卑俗、橫の匹夫だ。兵をあげて遠征すれば、通り過ぎていく地方は必ず悲惨な目に合う。庶民は平安でいられなくなる。今西伯姬昌がおり、仁德は四方あまねく知れ渡り、その信義は平素から明らかだ。この人物をを推薦すれば朝廷側、蘇護側ともうまくいくだろう(注29)。」紂王はまさに命令を下すところであったが,魯雄奏していわく、「侯虎は北方を治めているといえ、仁徳と信用はまだ確かではありません。朝廷の威德を広げるかどうかは不安であります。一方、西伯姬昌はその仁義は平素から聞いており、陛下が征伐の権限を与える(注30)には西伯姬昌にしくはありません。しかして陛下は自ら労を取ることなく蘇護を捕らえ、その罪を正すことができます。」紂王はしばらく考えてから、双方の申し出を受け入れて命令を出した。特別な命令で二侯は正式に天子に代わって征伐する権限を与えられることになった。特別な命令の読み上げは顯慶殿で行われらのだが、省略。 

四鎮諸侯と二相の宴はまだ終わっていなかった。そこへ突然「命令下る」の報がはいってきたが何事かは知らなかった。天子の使者は言った、「西伯侯、北伯侯命令を受けよ。」 二侯は出向いて命令を受け跪いて命令が読まれるのを聞いた。

「詔(みことのり)いわく、:朕は冠と履もの違いは厳格に守らねばならないと聞いている。君に仕えるに二心があってはならぬ。(注32) 故に君が招じれば、直ちに参上せねばならぬ。(注34) 君が死を命ずれば、命令に反することはならぬ。尊卑の差があるべきで(注35)、家臣は誇り高き任務なり。ここに無道の蘇護、頭狂いて理に悖(もと)り、無礼にして、殿に立ちて君を批判した。紀綱はすでに失われた。帰国を許されたが、悔い改めることなく、臆するところなく午門に詩を書きつけ、堂々と主君に反抗。その罪は許されぬ。。朕は姬昌等汝等に征伐の権限を与え、よろしく実行し,行きてその天子批判を懲らしめて寛容ざるべく、罪を得させて帰国せよ。ここに詔を汝等に発する。天子の命令なり。(注35)  謝恩(注36)

天子の使者が読み終えると、二侯は感謝の意を示してから身を起こした。(注37) 姬昌は二丞相と三侯伯に向かっていった:「蘇護は商に朝貢はしているがまが宮殿に進んだことはない。宮殿に進んだことがないのになぜ<殿に立ちて君を批判する>ようなことができるのか。この話、一体とはどこから出てきたのか?もとより蘇護はその心素にして忠義。軍功も重ねている。午門に書いた反抗詩は偽作に違い無い。偽作とすれば天子は誰かの言葉を信用したして有功の臣を征伐ししようとしているのだろう。天下の諸侯が不服に思うのではないかと心配する。望むらくは丞相ふた方は明朝天子にまみえ、どんな罪を得たのか詳しい事情を調べられんことを。もし本当なら征伐に行こう。もし本当でないなら、征伐は取りやめる。比干は言った:「本当のことです。」 崇侯虎は傍らにいて言った:「『王言如絲,其出如綸。』(注38)すでに命令は下ったのだ。誰が反対できるのか。ままして蘇護は午門に反抗詩を書きつけた。証拠はある。天子がゆえなくこの命令を発するとはない。今八百の諸侯が王命に従わず,勝手気ままがのさばれば、天子の命令は従われず、世の混乱に陥る。」姬昌は言った:「公の言はなるほどと言えるが、事に一端にすぎないかもしれぬ。公は知らないのだ、蘇護が忠良な君臣、その心は素にして誠、国に忠心を尽くし、民の教育は惜しまず、軍事は正当に行い、数年来過ちをしたことがない、ことを。 今天子は誰に迷惑をかけているかを知らず、はたまた善人に罪をかぶせている。このことは善き国でないことを示す一端と心配する。ねがわくは今は事を起こさず戦火を交えず、殺戮をせずに堯統治の時の世を楽しむことを。いわんや軍兵は凶兆、軍兵の通るところは驚きと憂いを引き起こし、民を苦しませてその財を傷め、窮兵は武をかってに使い、名目なくし戦闘に出る。これみな善くない世に起こるものです。」崇侯虎は言った:「公の言うことはもっとも言えるが、わたしは君命に間違いがあるとは思わない。すべてが自分のしたいようになるものではない。(注40)煌煌たる(輝く)天子の言葉、誰が敢えて間違いといえるのか。公みずから罪を被ることになりかねまい。昌は言った:「かくなれば、公は兵を率いてまず先に行き、わが兵は後から従いましょう。」これで解散となったが、西伯は二丞相に向かって言った、:「侯虎公が先に行き、私は先ず西岐に戻り、兵をつれてあとから行きましょう。」かくして皆解散した。

 次の日崇侯虎は教場(舊時操練和檢閱軍隊的場地)に行き、人馬を檢閱、朝廷を辞して行動をおこした。

一方蘇護は朝歌を離れ、伴(とも)の士卒とともに一日をへずして冀州に戻った蘇護の長男蘇全忠が領内の諸侯を率いて城を出て出迎えた。父と子が顔を合わせてから城内に入り首領の館で下馬した。多くの首領たちが殿の前に来たのを見終えると蘇護は言った。「今天子は失政,天下の諸侯が朝廷に行って天子に謁見した。誰だかは知らぬが、奸臣の一人が,私のむすめを天子に紹介した。バカ天子がわたしを宮殿に入れ、私のむすめを宮妃にしたいががどうか、と尋ねてきた.。私に天子に面と向かって諫(いさ)めたところ、突然怒りだし私に

 

欲將吾女選立宮妃。彼時被我當面諫諍,不意昏君大怒,將我拿問忤旨之罪,當有費仲、尤渾二人保奏,將我赦回,欲我送女進獻。彼時心甚不快,偶題詩 帖於午門而反商。此回昏君必點諸侯前來問罪。眾將官聽令:且將人馬訓練,城垣多用滾木砲石,以防攻打之虞。」

 

 

次日,崇侯虎下教場,整點人馬,辭朝起行。
  且言蘇護離了朝歌,同眾士卒,不一日回到冀州。護之 長子蘇全忠率領諸將出郭迎接。其時父子相會進城,帥府下馬。眾將到殿前見畢。護曰:「當今天子失政,天下諸侯朝覲,不知那一個奸臣,暗奏吾女姿色,昏君宣 吾進殿,欲將吾女選立宮妃。彼時被我當面諫諍,不意昏君大怒,將我拿問忤旨之罪,當有費仲、尤渾二人保奏,將我赦回,欲我送女進獻。彼時心甚不快,偶題詩 帖於午門而反商。此回昏君必點諸侯前來問罪。眾將官聽令:且將人馬訓練,城垣多用滾木砲石,以防攻打之虞。」諸將聽令,日夜防維,不敢稍懈,以待廝殺。
  話說崇侯虎領五萬人馬,即日出兵,離了朝歌,望冀州進發。但見:
    轟天炮響,振地鑼鳴。轟天炮響,汪洋大海起春雷;振地鑼鳴,萬仞山前丟霹靂。旛幢招展,三春楊柳交加;號帶飄揚,七夕彩雲蔽日。刀鎗閃灼,三冬瑞雪重鋪;劍戟森嚴,九月秋霜蓋地。騰騰殺氣鎖天台,隱隱紅雲遮碧岸。十里汪洋波浪滾,一座兵山出土來。
大兵正行,所過州府縣道,非止一日。前哨馬來報:「人馬已至冀州,請千歲軍令定奪。」侯虎傳令安營。怎見得:
    東擺蘆葉點鋼鎗,南擺月樣宣花斧,西擺馬閘鴈翎刀,北擺黃花硬柄弩,中央戊己按勾陳,殺氣離營四十五。轅門下按九宮星,大寨暗藏八卦譜。
   侯虎安下營寨,早有報馬報進冀州。蘇護問曰:「是那路諸侯為將?」探事回曰:「乃北伯侯崇侯虎。」蘇護大怒曰:「若是別鎮諸侯,還有他議;此人素行不道,斷不能以禮解釋。不若乘此大破其兵,以振軍威,且為萬姓除害。」傳令:「點兵出城廝戰!」眾將聽令,各整軍器出城,一聲砲響,殺氣振天。城門開處,將 軍馬一字擺開。蘇護大叫曰:「傳將進去,請主將轅門答話!」探事馬飛報進營。侯虎傳令整點人馬。只見門旗開處,侯虎坐逍遙馬,統領眾將出營,展兩杆龍鳳繡 旗。後有長子崇應彪壓住陣腳。蘇護見侯虎飛鳳盔,金鎖甲,大紅袍,玉束帶,紫驊騮,斬將大刀,擔於鞍鞽之上。蘇護一見,馬上欠身曰:「賢侯別來無恙。不才 甲冑在身,不能全禮。今天子無道,輕賢重色,不思量留心邦本;聽讒佞之言,強納臣子之女為妃,荒淫酒色,不久天下變亂。不才自各守邊疆,賢侯何故興此無名 之師?」崇侯聽言大怒曰:「你忤逆天子詔旨,題反詩於午門,是為賊臣,罪不容誅。今奉詔問罪,則當肘膝轅門,尚敢巧言支吾,持兵貫甲,以騁其強暴哉!」崇 侯回顧左右:「誰與我擒此逆賊?」言未了,左哨下有一將,頭帶鳳翅盔;黃金甲,大紅袍,獅鸞帶,青驄馬;厲聲而言曰:「待末將擒此叛賊!」連人帶馬滾至軍 前。這壁廂有蘇護之子蘇全忠,見那陣上一將當先,剌斜裏縱馬搖戟曰:「慢來!」全忠認得是偏將梅武。梅武曰:「蘇全忠,你父子反叛,得罪天子,尚不倒戈服罪,而強欲抗天兵,是自取滅族之禍矣。」全忠拍馬搖戟,劈胸來刺。梅武手中斧劈面相迎。但見:
    二將陣前交戰,鑼鳴鼓響人驚。該因世上動刀兵,致使英雄相馳騁。這個那分上下,那個兩眼難睜。你拿我,凌湮閣上標名;我捉你,丹鳳樓前畫影。斧來戟架,繞身一點鳳搖頭;戟去斧迎,不離腮邊過頂額。
  兩馬相交,二十回合,早被蘇全忠一戟剌梅武於馬下。蘇護見子得勝,傳令擂鼓。冀州陣上大將趙丙、陳季貞縱馬掄刀殺將來。一聲喊起,只殺的愁雲蕩蕩,旭日輝輝,屍橫遍野,血濺成渠。侯虎麾下金葵、黃元濟、崇應彪且戰且走,敗至十里之外。
   蘇護傳令鳴金收兵,同城到帥府,昇殿坐下,賞勞有功諸將:「今日雖大破一陣,彼必整兵復讎,不然定請兵益將,冀州必危,如之奈何?」言未畢,副將趙丙上 前言曰:「君侯今日雖勝,而征戰似無已時。前者題反詩,今日殺軍斬將,拒敵王命,此皆不赦之罪。況天下諸侯,非止侯虎一人,倘朝廷盛怒之下,又點幾路兵 來,冀州不過彈丸之地,誠所謂『以石投水,』立見傾危。若依末將愚見,『一不做,二不休』,侯虎新敗,不過十里遠近;乘其不備,人啣枚,馬摘轡,暗劫營 寨,殺彼片甲不存,方知我等利害。然後再尋那一路賢良諸侯,依附於彼,庶可進退,亦可以保全宗社。不知君侯尊意何如?」護聞此言大悅,曰:「公言甚善,正 合吾意。」即傳令:命子全忠領三千人馬出西門十里,五岡鎮埋伏。全忠領命而去。陳季貞統左營,趙丙統右營,護自統中營。時值黃昏之際,捲旛息鼓,人皆啣 枚,馬皆摘轡,聽炮為號,諸將聽令。不表。
  且言崇侯虎恃才妄作,提兵遠伐,孰知今日損軍折將,心甚羞慚。只得將敗殘軍兵收聚,紮下行營,納悶 中軍,鬱鬱不樂,對眾將曰:「吾自行軍,征伐多年,未嘗有敗;今日折了梅武,損了三軍,如之奈何?」旁有大將黃元濟諫曰:「君侯豈不知『勝敗乃兵家常 事』,想西伯侯大兵不久即至,破冀州如反掌耳。君侯且省愁煩,宜當保重。」侯虎軍中置酒,眾將歡飲。不題。有詩為證,詩曰:
    侯虎提兵事遠征,冀州城外駐行旌;三千鐵騎摧殘後,始信當年浪得名。」
  且言蘇護把人馬暗暗調出城來,只待劫營。時至初更,已行十里。探馬報與蘇護,護即傳令,將號砲點起。一聲響亮,如天崩地塌,三千鐵騎,一齊發喊,衝殺進營。如何抵當,好生利害,怎見得:
     黃昏兵到,黑夜軍臨。黃昏兵到,衝開隊伍怎支持?黑夜軍臨,撞倒寨門焉可立?人聞戰鼓之聲,惟知愴惶奔走;馬聽轟天之炮,難分南北東西。刀鎗亂刺, 那明上下交鋒;將士相迎,豈知自家別個。濃睡軍東衝西走;未醒將怎著頭盔。先行官不及鞍馬,中軍帥赤足無鞋。圍子手東三西四;拐子馬南北奔逃。劫營將驍如 猛虎;衝寨軍一似蛟龍。著刀的連肩拽背;著鎗的兩臂流紅;逢劍的砍開甲冑;遇斧的劈破天靈。人撞人,自相踐踏;馬撞馬,遍地屍橫。著傷軍哀哀叫苦;中箭將 咽咽悲聲。棄金鼓旛幢滿地;燒糧草四野通紅。只知道奉命征討,誰承望片甲無存。愁雲直上九重天,一派敗兵隨地擁。只見三路雄兵,人人敢勇,個個爭先,一片 喊殺之聲,衝開七層圍子,撞倒八面虎狼。
  單言蘇護,一騎馬,一條鎗,直殺入陣來,捉拿崇侯虎。左右營門,喊聲振地。崇侯虎正在夢中聞見殺聲, 披袍而起,上馬提刀,衝出帳來。只見燈光影裏,看蘇護金盔金甲,大紅袍,玉束帶,青驄馬,火龍鎗,大叫曰:「侯虎休走!速下馬受縛!」撚手中鎗劈心刺來。 崇侯虎落慌,將手中刀對面來迎,兩馬交鋒。正戰時,只見這崇侯虎長子應彪帶領金葵、黃元濟殺將來助戰。崇營左糧道門趙丙殺來,右糧道門陳季貞殺來。兩家混 戰,夤夜交兵。怎見得:
    征雲籠地戶,殺氣鎖天關。天昏地暗排兵,月下星前布陣。四下裏齊舉火把,八方處亂掌燈毬。那營裏數員戰將廝殺;這 營中千匹戰馬如龍。燈影戰馬,火映征夫。燈影戰馬,千條烈焰照貔貅;火映征夫,萬道紅霞籠懈豸。開弓射箭,星前月下吐寒光;轉背掄刀,燈裏火中生燦爛。鳴 金小校,懨懨二目竟難睜;擂鼓兒郎,漸漸雙手不能舉。刀來鎗架,馬蹄下人頭亂滾;劍去戟迎,頭盔上血水淋漓。鎚鞭並舉,燈前小校盡傾生;斧鐧傷人,目下兒 郎都喪命。喊天振地自相殘,哭泣蒼天連叫苦。只殺得滿營炮響沖霄漢,星月無光斗府迷。
  話說兩家大戰,蘇護有心劫營,崇侯虎不曾防備,冀州人馬 以一當十。金葵正戰,早被趙丙一刀砍於馬下。侯虎見勢不能支,且戰且走。有長子應彪保父,殺一條路逃走,好似喪家之犬,漏網之魚。冀州人馬,凶如猛虎,惡 似豺狼,只殺的屍橫遍野,血滿溝渠。急忙奔走,夜半更深,不認路途而行,只要保全性命。蘇護趕殺侯虎敗殘人馬約二十餘里,傳令鳴金收軍。蘇護得全勝回冀 州。
  單言崇侯虎父子,領敗兵迤望 前正走,只見黃元濟、孫子羽催後軍趕來,打馬而行。侯虎在馬上叫眾將言曰:「吾自提兵以來,未嘗大敗;今被逆賊暗劫吾營,黑夜交兵,未曾準備,以致損折軍 將。此恨如何不報!吾想西伯侯姬昌自在安然,違避旨意,按兵不動,坐觀成敗,真是可恨!」長子應彪答曰:「軍兵新敗,銳氣已失,不如按兵不動,遣一軍催西 伯侯起兵前來接應,再作區處。」侯虎曰:「我兒所見甚明。到天明收住人馬,再作別議。」言末畢,一聲炮響,喊殺連天,只聽得叫:「崇侯虎快快下馬受死!」 侯虎父子、眾將,急向前看時,見一員小將,束髮金冠,金抹額,雙搖兩根雉尾,大紅袍,金鎖甲,銀合馬,畫杆戟,面如滿月,唇若涂硃,厲聲大罵:「崇侯虎, 吾奉父親之命,在此候爾多時。可速倒戈受死!還不下馬,更待何時!」侯虎大罵曰:「好賊子!你父子謀反,忤逆朝廷,殺了朝廷命官,傷了天子軍馬,罪業如 山。寸磔汝屍,倘不足以贖其辜。偶爾夤夜中賊奸計,輒敢在此耀武揚威,大言不慚。不日天兵一到,汝父子死無葬身之地。誰與我拿此反賊?」黃元濟縱馬舞刀, 直取蘇全忠。全忠用手中戟,對面相還,兩馬相交,一場大戰:
    刮地寒風聲似颯,滾滾征塵飛紫雪,駜駜撥撥馬蹄鳴,叮叮噹噹袍甲結。齊心刀砍錦征袍,舉意鎗刺連環甲。只殺的搖旗小校手連顛,擂鼓兒郎槌亂匝。
   二將酣戰,正不分勝負。孫子羽縱馬舞叉,雙戰全忠。全忠大喝一聲,刺子羽於馬下。全忠復奮勇來戰侯虎。侯虎父子雙迎上來,戰住全忠。全忠抖擻神威,好似 弄風猛虎,攪海蛟龍,戰住三將。正戰間,全忠賣個破綻,一戟把崇侯虎護腿金甲挑下了半邊。侯虎大驚,將馬一夾,跳出圍來,往外便走。崇應彪見父親敗走,意 急心忙,慌了手腳,不提防被全忠當心一戟刺來。應彪急閃時,早中左臂,血淋袍甲,幾乎落馬。眾將急上前架住,救得性命,望前逃走。全忠欲要追趕,又恐黑夜 之間不當穩便,只得收了人馬進城。此時天色漸明,兩邊來報蘇護。護令長子到前殿問曰:「可曾拿了那賊?」全忠答曰:「奉父親將令,在五崗鎮埋伏,至半夜敗 兵方至,孩兒奮勇刺死孫子羽;挑崇侯虎護腿甲;傷崇應彪左臂,幾乎落馬,被眾將救逃。奈黑夜不敢造次追趕,故此回兵。」蘇護曰:「好了這老賊!我兒且自安息。」不題。不知崇侯虎往何路借兵,且聽下回分解。

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  詩曰:
    丞相金鑾直諫君,忠肝義膽孰能群。早知侯伯來朝覲,空費傾葵紙上文。
   話說紂王聽奏大喜,即時還宮。一宵經過。次日早朝,聚兩班文武朝賀畢。紂王便問當駕官:「即傳朕旨意,頒行四鎮諸侯,與朕每一鎮地方揀選良家美女百名, 不論富貴貧賤,只以容貌端莊,情性和婉,禮度賢淑,舉止大方,以充後宮役使。」天子傳旨未畢,只見左班中一人應聲出奏,俯伏言曰:「老臣商容啟奏陛下:君 有道則萬民樂業,不令而從。況陛下後宮美女,不啻千人,嬪御而上,又有妃后。今劈空欲選美女,恐失民望。臣聞:『樂民之樂者,民亦樂其樂;憂民之憂者,民 亦憂其憂。』此時水旱頻仍,乃事女色,實為陛下不取也。故堯、舜與民偕樂,以仁德化天下,不事干戈,不行殺伐,景星耀天,甘露下降,鳳凰止於庭,芝草生於 野;民豐物阜,行人讓路,犬無吠聲,夜雨晝晴,稻生雙穗;此乃有道興隆之象也。今陛下若取近時之樂,則目眩多色,耳聽淫聲,沉湎酒色,遊於苑圃,獵於山 林,此乃無道敗亡之象也。老臣待罪首相,位列朝綱,侍君三世,不得不啟陛下。臣願陛下:進賢,退不肖,修行仁義,通達道德,則和氣貫於天下,自然民富財 豐,天下太平,四海雍熙,與百姓共享無窮之福。況今北海干戈未息,正宜修其德,愛其民,惜其財費,重其使令,雖堯、舜不過如是;又何必區區選侍,然後為樂 哉?臣愚不識忌諱,望祈容納。」紂王沉思良久:「卿言甚善,朕即免行。」言罷,群臣退朝,聖駕還宮。不題。
  不意紂王八年,夏四月,天下四大諸 侯率領八百鎮朝覲於商。那四鎮諸侯乃東伯侯姜桓楚,南伯侯鄂崇禹,西伯侯姬昌,北伯侯崇侯虎。天下諸侯俱進朝歌。此時太師聞仲不在都城,紂王寵用費仲、尤渾。各諸侯俱知二人把持朝政,擅權作威,少不得先以禮賄之以結其心,正所謂:「未去朝天子,先來謁相公。」內中有位諸侯,乃冀州侯,姓蘇名護,此人生得性 如烈火,剛方正直,那裏知道奔競夤緣;平昔見稍有不公不法之事,便執法處分,不少假借,故此與二人俱未曾送有禮物。也是合當有事,那日二人查天下諸侯俱送有禮物,獨蘇護並無禮單,心中大怒,懷恨於心。不題。
  其日元旦吉晨,天子早朝,設聚兩班文武,眾官拜賀畢。黃門官啟奏陛下:「今年乃朝賀之 年,天下諸侯皆在午門外朝賀,聽候玉音發落。」紂王問首相商容,容曰:「陛下止可宣四鎮首領臣面君,採問民風土俗,淳龐澆競,國治邦安;其餘諸侯俱在午門 外朝賀。」天子聞言大悅:「卿言極善。」隨命黃門官傳旨:「宣四鎮諸侯見駕,其餘午門朝賀。」
  話說四鎮諸侯整齊朝服,輕搖玉珮,進午門,行過九龍橋,至丹墀,山呼朝拜畢,俯伏。王慰勞曰:「卿等與朕宣猷贊化,撫綏黎庶,鎮攝荒服,威遠寧邇,多有勤勞,皆卿等之功耳。朕心喜悅。」東伯侯奏曰: 「臣等荷蒙聖恩,官居總鎮。臣等自叨職掌,日夜兢兢,常恐不克負荷,有辜聖心;縱有犬馬微勞,不過臣子分內事,尚不足報涓涯於萬一耳,又何勞聖心垂念!臣等不勝感激!」天子龍顏大喜,命首相商容、亞相比干於顯慶殿治宴相待。四臣叩頭謝恩,離丹墀前至顯慶殿,相序筵宴。不題。
  天子退朝至便殿,宣費仲、尤渾二人,問曰:「前卿奏朕,欲令天下四鎮大諸侯進美女,朕欲頒旨,又被商容諫止;今四鎮諸侯在此,明早召入,當面頒行,俟四人回國,以便揀選進 獻,且免使臣往返。二卿意下若何?」費仲俯伏奏曰:「首相諫止採選美女,陛下當日容納,即行停旨,此美德也。臣下共知,眾庶共知,天下景仰。今一旦復行, 是陛下不足以取信於臣民,切為不可。臣近訪得冀州侯蘇護有一女,豔色天姿,幽閒淑性,若選進宮幃,隨侍左右,堪任役使。況選一人之女,又不驚擾天下百姓, 自不動人耳目。」紂王聽言,不覺大悅:「卿言極善!」即命隨侍官傳旨:「宣蘇護。」使命來至館驛傳旨:「宣冀州侯蘇護商議國政。」蘇護即隨使命至龍德殿朝見,禮畢,俯伏聽命。王曰:「朕聞卿有一女,德性幽閒,舉止中度。朕欲選侍後宮。卿為國戚,食其天祿,受其顯位,永鎮冀州,坐享安康,名揚四海,天下莫不 欣羨。卿意下如何?」蘇護聽言,正色而奏曰:「陛下宮中,上有后妃,下至嬪御,不啻數千。妖冶嫵媚,何不足以悅王之耳目?乃聽左右諂諛之言,陷陛下於不 義。況臣女蒲柳陋質,素不諳禮度,德色俱無足取。乞陛下留心邦本,連斬此進讒言之小人,使天下後世知陛下正心修身,納言聽諫,非好色之君,豈不美哉!」紂王大笑曰:「卿言甚不諳大體。自古及今,誰不願女作門楣。況女為后妃,貴敵天子;卿為皇親國戚,赫奕顯榮,孰過於此!卿毋迷惑,當自裁審。」蘇護聞言,不覺厲聲言曰:「臣聞人君修德勤政,則萬民悅服,四海景從,天祿永終。昔日有夏失政,淫荒酒色;惟我祖宗不邇聲色,不殖貨財,德懋懋官,功懋懋賞,克寬克仁,方能割正有夏,彰信兆民,邦乃其昌,永保天命。今陛下不取法祖宗,而效彼夏王,是取敗之道也。況人君愛色,必顛覆社稷;卿大夫愛色,必絕滅宗廟;士庶人愛色,必戕賊其身。且君為臣之標率,君不向道,臣下將化之,而朋比作奸,天下事尚忍言哉!臣恐商家六百餘年基業,必自陛下紊亂之矣。」紂王聽蘇護之言, 勃然大怒曰:「君命召,不俟駕;君賜死,不敢違;況選汝一女為后妃乎!敢以戇言忤旨,面折朕躬,以亡國之君匹朕,大不敬孰過於此!著隨侍官,拿出午門,送法司勘問正法!」左右隨將蘇護拿下。轉出費仲、尤渾二人,上殿俯伏奏曰:「蘇護忤旨,本該勘問;但陛下因選侍其女,以致得罪;使天下聞之,道陛下輕賢重色,阻塞言路。不若赦之歸國,彼感皇上不殺之恩,自然將此女進貢宮闈,以侍皇上。庶百姓知陛下寬仁大度,納諫容流,而保護有功之臣。是一舉兩得之意。願陛下准臣施行。」紂王聞言,天顏少霽:「依卿所奏。即降赦,令彼還國,不得久羈朝歌。」


  話說聖旨一下,迅如峰火,即催逼蘇護出城,不容停止。那 蘇護辭朝回至驛亭,眾家將接見慰問:「聖上召將軍進朝,有何商議?」蘇護大怒,罵曰:「無道昏君,不思量祖宗德業,寵信讒臣諂媚之言,欲選吾女進宮為妃。 此必是費仲、尤渾以酒色迷惑君心,欲專朝政。我聽旨不覺直言諫諍;昏君道我忤旨,拿送法司。二賊子又奏昏君,赦我歸國,諒我感昏君不殺之恩,必將吾女送進 朝歌,以遂二賊奸計。我想聞太師遠征,二賊弄權,眼見昏君必荒淫酒色,紊亂朝政,天下荒荒,黎民倒懸,可憐成湯社稷化為烏有。我自思:若不將此女進貢,昏君必興問罪之師;若要送此女進宮,以後昏君失德,使天下人恥笑我不智。諸將必有良策教我。」眾將聞言,齊曰:「吾聞『君不正則臣投外國』,今主上輕賢重 色,眼見昏亂,不若反出朝歌,自守一國,上可以保宗社,下可保一家。」此時蘇護正在盛怒之下,一聞此言,下覺性起,竟不思維,便曰:「大丈夫不可做不明白 事。」叫左右:「取文房四寶來,題詩在午門牆上,以表我永不朝商之意。」詩曰:
    「君壞臣綱,有敗五常。冀州蘇護,永不朝商!」
蘇護題了詩,領家將逕出朝歌,奔本國而去。
   且言紂王見蘇護當面折諍一番,不能遂願:「雖准費、尤二人所奏,不知彼可能將女進貢深宮,以遂朕于飛之樂?」正躊躇不悅,只見看午門內臣俯伏奏曰:「臣在午門,見牆上蘇護題有反詩十六字,不敢隱匿,伏乞聖裁。」隨侍接詩鋪在御案上。紂王一見,大罵:「賊子如此無禮!朕體上天好生之德,不殺鼠賊,赦令歸國,彼反寫詩午門,大辱朝廷,罪在不赦!」即命:「宣殷破敗、晁田、魯雄等,統領六師,朕須親征,必滅其國!」當駕官隨宣魯雄等見駕。不一時,魯雄等朝 見,禮畢。王曰:「蘇護反商,題詩午門,甚辱朝綱,情殊可恨,法紀難容。卿等統人馬廿萬為先鋒;朕親率六師,以聲其罪。」魯雄聽罷,低首暗想:「蘇護乃忠良之士,素懷忠義,何事觸忤天子,自欲親征,冀州休矣!」魯雄為蘇護俯伏奏曰:「蘇護得罪於陛下,何勞御駕親征。況且四大鎮諸侯俱在都城,尚未歸國,陛下 可點一二路征伐,以擒蘇護,明正其罪,自不失撻伐之威。何必聖駕遠事其地。」紂王問曰:「四侯之內,誰可征伐?」費仲在傍,出班奏曰:「冀州乃北方崇侯虎屬下,可命侯虎征伐。」紂王即准施行。魯雄在側自思:「崇侯虎乃貪鄙暴橫之夫,提兵遠征,所經地方,必遭殘害,黎庶何以得安。現有西伯姬昌,仁德四布,信義素著。何不保舉此人,庶幾兩全。」紂王方命傳旨,魯雄奏曰:「侯虎雖鎮北地,恩信尚未孚於人,恐此行未能伸朝廷威德;不如西伯姬昌,仁義素聞,陛下若假以節鉞,自不勞矢石,可擒蘇護,以正其罪。」紂王思想良久,俱准奏。特旨令二侯秉節鉞,得專征伐。使命持旨到顯慶殿宣讀。不題。
  只見四鎮諸侯與二相飲宴未散,忽報「旨意下」,不知何事。天使曰:「西伯侯、北伯侯接旨。」二侯出席接旨,跪聽宣讀:
     「詔曰:朕聞冠履之分維嚴,事使之道無兩,故君命召,不俟駕;君賜死,不敢返命;乃所以隆尊卑,崇任使也。茲不道蘇護,狂悖無禮,立殿忤君,紀綱已失,被赦歸國,不思自新,輒敢寫詩午門,安心叛主,罪在不赦。賜爾姬昌等節鉞,便宜行事,往懲其忤,毋得寬縱,罪有攸歸。故茲詔示汝往。欽哉。謝恩。」

   天使讀畢,二侯謝恩平身。姬昌對二丞相、三侯伯言曰:「蘇護朝商,未進殿庭,未參聖上;今詔旨有『立殿忤君』,不知此語何來?且此人素懷忠義,累有軍功,午門題詩,必有詐偽。天子聽信何人之言,欲伐有功之臣。恐天下諸侯不服。望二位丞相明日早朝見駕,請察其詳。蘇護所得何罪?果言而正,伐之可也;倘言 而不正,合當止之。」比干言曰:「君侯言之是也。」崇侯虎在傍言曰:「『王言如絲,其出如綸。』今詔旨已出,誰敢抗違。況蘇護題詩午門,必然有據;天子豈 無故而發此難端。今諸侯八百,俱不遵王命,大肆猖獗,是王命不能行於諸侯,乃取亂之道也。」姬昌曰:「公言雖善,是執其一端耳。不知蘇護乃忠良君子,素秉丹誠,忠心為國,教民有方,治兵有法,數年以來,並無過失。今天子不知為誰人迷惑,興師問罪於善類。此一節恐非國家之祥瑞。只願當今不事干戈,不行殺伐, 共樂堯年。況兵乃凶象,所經地方,必有驚擾之虞,且勞民傷財,窮兵黷武,師出無名,皆非盛世所宜有者也。」崇侯虎曰:「公言固是有理,獨不思君命所差,概 不由己?且煌煌天語,誰敢有違,以自取欺君之罪。」昌曰:「既如此,公可領兵前行,我兵隨後便至。」當時各散。西伯便對二丞相言:「侯虎先去,姬昌暫回西 岐,領兵續進。」遂各辭散。不題。


  次日,崇侯虎下教場,整點人馬,辭朝起行。
  且言蘇護離了朝歌,同眾士卒,不一日回到冀州。護之 長子蘇全忠率領諸將出郭迎接。其時父子相會進城,帥府下馬。眾將到殿前見畢。護曰:「當今天子失政,天下諸侯朝覲,不知那一個奸臣,暗奏吾女姿色,昏君宣 吾進殿,欲將吾女選立宮妃。彼時被我當面諫諍,不意昏君大怒,將我拿問忤旨之罪,當有費仲、尤渾二人保奏,將我赦回,欲我送女進獻。彼時心甚不快,偶題詩 帖於午門而反商。此回昏君必點諸侯前來問罪。眾將官聽令:且將人馬訓練,城垣多用滾木砲石,以防攻打之虞。」諸將聽令,日夜防維,不敢稍懈,以待廝殺。
  話說崇侯虎領五萬人馬,即日出兵,離了朝歌,望冀州進發。但見:
    轟天炮響,振地鑼鳴。轟天炮響,汪洋大海起春雷;振地鑼鳴,萬仞山前丟霹靂。旛幢招展,三春楊柳交加;號帶飄揚,七夕彩雲蔽日。刀鎗閃灼,三冬瑞雪重鋪;劍戟森嚴,九月秋霜蓋地。騰騰殺氣鎖天台,隱隱紅雲遮碧岸。十里汪洋波浪滾,一座兵山出土來。
大兵正行,所過州府縣道,非止一日。前哨馬來報:「人馬已至冀州,請千歲軍令定奪。」侯虎傳令安營。怎見得:
    東擺蘆葉點鋼鎗,南擺月樣宣花斧,西擺馬閘鴈翎刀,北擺黃花硬柄弩,中央戊己按勾陳,殺氣離營四十五。轅門下按九宮星,大寨暗藏八卦譜。
   侯虎安下營寨,早有報馬報進冀州。蘇護問曰:「是那路諸侯為將?」探事回曰:「乃北伯侯崇侯虎。」蘇護大怒曰:「若是別鎮諸侯,還有他議;此人素行不道,斷不能以禮解釋。不若乘此大破其兵,以振軍威,且為萬姓除害。」傳令:「點兵出城廝戰!」眾將聽令,各整軍器出城,一聲砲響,殺氣振天。城門開處,將 軍馬一字擺開。蘇護大叫曰:「傳將進去,請主將轅門答話!」探事馬飛報進營。侯虎傳令整點人馬。只見門旗開處,侯虎坐逍遙馬,統領眾將出營,展兩杆龍鳳繡 旗。後有長子崇應彪壓住陣腳。蘇護見侯虎飛鳳盔,金鎖甲,大紅袍,玉束帶,紫驊騮,斬將大刀,擔於鞍鞽之上。蘇護一見,馬上欠身曰:「賢侯別來無恙。不才 甲冑在身,不能全禮。今天子無道,輕賢重色,不思量留心邦本;聽讒佞之言,強納臣子之女為妃,荒淫酒色,不久天下變亂。不才自各守邊疆,賢侯何故興此無名 之師?」崇侯聽言大怒曰:「你忤逆天子詔旨,題反詩於午門,是為賊臣,罪不容誅。今奉詔問罪,則當肘膝轅門,尚敢巧言支吾,持兵貫甲,以騁其強暴哉!」崇 侯回顧左右:「誰與我擒此逆賊?」言未了,左哨下有一將,頭帶鳳翅盔;黃金甲,大紅袍,獅鸞帶,青驄馬;厲聲而言曰:「待末將擒此叛賊!」連人帶馬滾至軍 前。這壁廂有蘇護之子蘇全忠,見那陣上一將當先,剌斜裏縱馬搖戟曰:「慢來!」全忠認得是偏將梅武。梅武曰:「蘇全忠,你父子反叛,得罪天子,尚不倒戈服罪,而強欲抗天兵,是自取滅族之禍矣。」全忠拍馬搖戟,劈胸來刺。梅武手中斧劈面相迎。但見:
    二將陣前交戰,鑼鳴鼓響人驚。該因世上動刀兵,致使英雄相馳騁。這個那分上下,那個兩眼難睜。你拿我,凌湮閣上標名;我捉你,丹鳳樓前畫影。斧來戟架,繞身一點鳳搖頭;戟去斧迎,不離腮邊過頂額。
  兩馬相交,二十回合,早被蘇全忠一戟剌梅武於馬下。蘇護見子得勝,傳令擂鼓。冀州陣上大將趙丙、陳季貞縱馬掄刀殺將來。一聲喊起,只殺的愁雲蕩蕩,旭日輝輝,屍橫遍野,血濺成渠。侯虎麾下金葵、黃元濟、崇應彪且戰且走,敗至十里之外。
   蘇護傳令鳴金收兵,同城到帥府,昇殿坐下,賞勞有功諸將:「今日雖大破一陣,彼必整兵復讎,不然定請兵益將,冀州必危,如之奈何?」言未畢,副將趙丙上 前言曰:「君侯今日雖勝,而征戰似無已時。前者題反詩,今日殺軍斬將,拒敵王命,此皆不赦之罪。況天下諸侯,非止侯虎一人,倘朝廷盛怒之下,又點幾路兵 來,冀州不過彈丸之地,誠所謂『以石投水,』立見傾危。若依末將愚見,『一不做,二不休』,侯虎新敗,不過十里遠近;乘其不備,人啣枚,馬摘轡,暗劫營 寨,殺彼片甲不存,方知我等利害。然後再尋那一路賢良諸侯,依附於彼,庶可進退,亦可以保全宗社。不知君侯尊意何如?」護聞此言大悅,曰:「公言甚善,正 合吾意。」即傳令:命子全忠領三千人馬出西門十里,五岡鎮埋伏。全忠領命而去。陳季貞統左營,趙丙統右營,護自統中營。時值黃昏之際,捲旛息鼓,人皆啣 枚,馬皆摘轡,聽炮為號,諸將聽令。不表。
  且言崇侯虎恃才妄作,提兵遠伐,孰知今日損軍折將,心甚羞慚。只得將敗殘軍兵收聚,紮下行營,納悶 中軍,鬱鬱不樂,對眾將曰:「吾自行軍,征伐多年,未嘗有敗;今日折了梅武,損了三軍,如之奈何?」旁有大將黃元濟諫曰:「君侯豈不知『勝敗乃兵家常 事』,想西伯侯大兵不久即至,破冀州如反掌耳。君侯且省愁煩,宜當保重。」侯虎軍中置酒,眾將歡飲。不題。有詩為證,詩曰:
    侯虎提兵事遠征,冀州城外駐行旌;三千鐵騎摧殘後,始信當年浪得名。」
  且言蘇護把人馬暗暗調出城來,只待劫營。時至初更,已行十里。探馬報與蘇護,護即傳令,將號砲點起。一聲響亮,如天崩地塌,三千鐵騎,一齊發喊,衝殺進營。如何抵當,好生利害,怎見得:
     黃昏兵到,黑夜軍臨。黃昏兵到,衝開隊伍怎支持?黑夜軍臨,撞倒寨門焉可立?人聞戰鼓之聲,惟知愴惶奔走;馬聽轟天之炮,難分南北東西。刀鎗亂刺, 那明上下交鋒;將士相迎,豈知自家別個。濃睡軍東衝西走;未醒將怎著頭盔。先行官不及鞍馬,中軍帥赤足無鞋。圍子手東三西四;拐子馬南北奔逃。劫營將驍如 猛虎;衝寨軍一似蛟龍。著刀的連肩拽背;著鎗的兩臂流紅;逢劍的砍開甲冑;遇斧的劈破天靈。人撞人,自相踐踏;馬撞馬,遍地屍橫。著傷軍哀哀叫苦;中箭將 咽咽悲聲。棄金鼓旛幢滿地;燒糧草四野通紅。只知道奉命征討,誰承望片甲無存。愁雲直上九重天,一派敗兵隨地擁。只見三路雄兵,人人敢勇,個個爭先,一片 喊殺之聲,衝開七層圍子,撞倒八面虎狼。
  單言蘇護,一騎馬,一條鎗,直殺入陣來,捉拿崇侯虎。左右營門,喊聲振地。崇侯虎正在夢中聞見殺聲, 披袍而起,上馬提刀,衝出帳來。只見燈光影裏,看蘇護金盔金甲,大紅袍,玉束帶,青驄馬,火龍鎗,大叫曰:「侯虎休走!速下馬受縛!」撚手中鎗劈心刺來。 崇侯虎落慌,將手中刀對面來迎,兩馬交鋒。正戰時,只見這崇侯虎長子應彪帶領金葵、黃元濟殺將來助戰。崇營左糧道門趙丙殺來,右糧道門陳季貞殺來。兩家混 戰,夤夜交兵。怎見得:
    征雲籠地戶,殺氣鎖天關。天昏地暗排兵,月下星前布陣。四下裏齊舉火把,八方處亂掌燈毬。那營裏數員戰將廝殺;這 營中千匹戰馬如龍。燈影戰馬,火映征夫。燈影戰馬,千條烈焰照貔貅;火映征夫,萬道紅霞籠懈豸。開弓射箭,星前月下吐寒光;轉背掄刀,燈裏火中生燦爛。鳴 金小校,懨懨二目竟難睜;擂鼓兒郎,漸漸雙手不能舉。刀來鎗架,馬蹄下人頭亂滾;劍去戟迎,頭盔上血水淋漓。鎚鞭並舉,燈前小校盡傾生;斧鐧傷人,目下兒 郎都喪命。喊天振地自相殘,哭泣蒼天連叫苦。只殺得滿營炮響沖霄漢,星月無光斗府迷。
  話說兩家大戰,蘇護有心劫營,崇侯虎不曾防備,冀州人馬 以一當十。金葵正戰,早被趙丙一刀砍於馬下。侯虎見勢不能支,且戰且走。有長子應彪保父,殺一條路逃走,好似喪家之犬,漏網之魚。冀州人馬,凶如猛虎,惡 似豺狼,只殺的屍橫遍野,血滿溝渠。急忙奔走,夜半更深,不認路途而行,只要保全性命。蘇護趕殺侯虎敗殘人馬約二十餘里,傳令鳴金收軍。蘇護得全勝回冀 州。
  單言崇侯虎父子,領敗兵迤望 前正走,只見黃元濟、孫子羽催後軍趕來,打馬而行。侯虎在馬上叫眾將言曰:「吾自提兵以來,未嘗大敗;今被逆賊暗劫吾營,黑夜交兵,未曾準備,以致損折軍 將。此恨如何不報!吾想西伯侯姬昌自在安然,違避旨意,按兵不動,坐觀成敗,真是可恨!」長子應彪答曰:「軍兵新敗,銳氣已失,不如按兵不動,遣一軍催西 伯侯起兵前來接應,再作區處。」侯虎曰:「我兒所見甚明。到天明收住人馬,再作別議。」言末畢,一聲炮響,喊殺連天,只聽得叫:「崇侯虎快快下馬受死!」 侯虎父子、眾將,急向前看時,見一員小將,束髮金冠,金抹額,雙搖兩根雉尾,大紅袍,金鎖甲,銀合馬,畫杆戟,面如滿月,唇若涂硃,厲聲大罵:「崇侯虎, 吾奉父親之命,在此候爾多時。可速倒戈受死!還不下馬,更待何時!」侯虎大罵曰:「好賊子!你父子謀反,忤逆朝廷,殺了朝廷命官,傷了天子軍馬,罪業如 山。寸磔汝屍,倘不足以贖其辜。偶爾夤夜中賊奸計,輒敢在此耀武揚威,大言不慚。不日天兵一到,汝父子死無葬身之地。誰與我拿此反賊?」黃元濟縱馬舞刀, 直取蘇全忠。全忠用手中戟,對面相還,兩馬相交,一場大戰:
    刮地寒風聲似颯,滾滾征塵飛紫雪,駜駜撥撥馬蹄鳴,叮叮噹噹袍甲結。齊心刀砍錦征袍,舉意鎗刺連環甲。只殺的搖旗小校手連顛,擂鼓兒郎槌亂匝。
   二將酣戰,正不分勝負。孫子羽縱馬舞叉,雙戰全忠。全忠大喝一聲,刺子羽於馬下。全忠復奮勇來戰侯虎。侯虎父子雙迎上來,戰住全忠。全忠抖擻神威,好似 弄風猛虎,攪海蛟龍,戰住三將。正戰間,全忠賣個破綻,一戟把崇侯虎護腿金甲挑下了半邊。侯虎大驚,將馬一夾,跳出圍來,往外便走。崇應彪見父親敗走,意 急心忙,慌了手腳,不提防被全忠當心一戟刺來。應彪急閃時,早中左臂,血淋袍甲,幾乎落馬。眾將急上前架住,救得性命,望前逃走。全忠欲要追趕,又恐黑夜 之間不當穩便,只得收了人馬進城。此時天色漸明,兩邊來報蘇護。護令長子到前殿問曰:「可曾拿了那賊?」全忠答曰:「奉父親將令,在五崗鎮埋伏,至半夜敗 兵方至,孩兒奮勇刺死孫子羽;挑崇侯虎護腿甲;傷崇應彪左臂,幾乎落馬,被眾將救逃。奈黑夜不敢造次追趕,故此回兵。」蘇護曰:「好了這老賊!我兒且自安息。」不題。不知崇侯虎往何路借兵,且聽下回分解。

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第二回  冀州侯蘇護が商に反旗を翻す

詩にいわく:


丞相金鑾直諫君, - 丞相や翰林學士は主君を諫(いさ)める。
忠肝義膽孰能群。 - それは強い忠義心からだが、忠義心はときにうまく働かぬ。
早知侯伯來朝覲,   - 諸侯が来朝して天子にまみえ諫めるも、
空費傾葵紙上文。 - 忠義心はいたずらに紙の上の文字となる。 (注1)


紂王はこの提案をきいて大いによろこび、すぐに宮殿に戻った。そして一夜明けた翌日早朝、文武兩班が皆朝賀をおえると紂王は御車官に伝えた。「即、朕の主旨を伝えよ。すなわち、四鎮諸侯それぞれに、各鎮(地方)ごとに、貴賤(きせん)を問わず、ただし容姿は端麗、性格は柔和、礼儀は正しく、賢く淑(しと)やかで、動作はゆったりした良家の美女百名を選んで以後宮廷務めのため朕のもとに送ること。」 天子がまだこの旨(むね)を伝え終わらないうちに、左列の中から一人が発言しようとするのが見えた。ひれ伏して言った。「老臣商容陛下に申し上げます。君徳あれば萬民の暮らし苦しからず、命令無くして従います。陛下はすでに後宮に美女がいること千人を下りません。側室を上として、もともと正室(三)がおります。(注2) 今わけもなく美女を選びたいと申し出れば民は失望します。『民に樂を与える天子はは樂者であり、民もまた天子に楽を与う民に憂(うれ)いを与える天子は憂者であり、民もまた天子に憂い与う』と聞いております。このところ水害、干ばつが頻繁に起こっております。こと女色に関しては陛下はこれを取り上げない方がよろしゅうございます。堯、舜は民に楽を与えたのであり、徳によって天下を治め、戦争はせず、殺人も行わず。しかして景星は天上に輝き(注3)、甘露はふり注ぎ、鳳凰は庭におり立ち、芝草は野に生え、ものは豊か。行く人は道を譲り、犬は吠えず、雨は夜にふり、昼は晴れ。稲穂は倍に実る。これが徳ある天子がもたらす世の姿です。かたや、今陛下は目の前の快楽にふけり、女色に惑い、淫(みだ)らな声に耳を傾け、酒と女に浸り、庭園に出て遊び、野に出て狩り遊びをする。これが徳無き天子がもたらす世の姿です。老臣はおそれ多くも首相を務め、朝廷に加わり、三代の君に仕えておりますが、陛下に申し上げずにはおられません。願わくは、陛下賢き道を進み、悪き道から退き、仁と義を行い、道と徳を貫きください。しかれば、和気が天下にに満ち、自ずと民は豊かになり、天下は太平、四海は和樂、民とともに無窮の福を享受することになります。いわんや、北海での戦はまだ終結しておりません。正に徳を修め、民を愛し、浪費を控え、指令を重きものと思うべきです。堯、舜はただかくの如し。たかが側室、今必要ですか?必要ではないのです。(注4)後から楽しめばいいのです。臣は愚かにして言うべきではないかもしれませんが、何とど私めの意見をお受け下さるよう願い、祈ります。」紂王はしばらく考えてから言った。「卿の言葉よし。朕はこの計画はやめることにする。」と言い終えると,群臣は退き天子の車は宮殿に戻って行った。(注5) その模様は省略。

紂王の八年目の夏四月(旧暦で二か月弱のズレがあるから6月だろう)、なぜか不意に天下の四大諸侯が八百鎮の首領を率いて朝廷に参賀に来た。四大諸侯とは東伯侯の姜桓楚、南伯侯の鄂崇禹、西伯侯の姬昌,北伯侯の崇侯虎だ。(注6)天下の諸侯はみな都の朝歌にやって来たが、この時太師の聞仲は都に不在で、紂王は費仲、尤渾の二人をかわいがるように使っていた。各諸侯の多くはみなこの二人が朝政を牛耳り、権力を振るい、威張っているの知り、少なからぬ贈り物と賄賂でコネを作ろうとした。正にいう「天子にまみえる前には,まず相公にまみえよ」だ。諸侯の中に冀州侯で、姓は蘇、名は護という者がいたが、この人物、性は生まれながらに烈火のごとく、堅物で正直者。みな競ってコネを付けて高い職位と利益しようとしているのを知っていたが、昔から不公平、不法な行いをしたことなく、法に従って処分をして仮借することがなかった。したがってこの二人に贈り物や賄賂は送らなかった。しかして起こるべきことは起こるもので、ある日この二人が天下諸侯からの贈り物を調べると、はたして蘇護からだけ贈り物がなかった。心中大いに怒り、恨みに思ったが、これについてはこれ以上語らない。

其の日は正月元旦の喜ばしき朝、天子は早朝に文武両班を集め、皆が拜賀が終わると。黃門官が陛下に伝えた。「今年は朝賀の年で、天下の諸侯がみな午門外で朝賀し,陛下の玉音を聞こうとしております。」 紂王は首相の商容に問うたところ、容いわく「陛下は四鎮の首領を呼んで顔を見せるだけにとどめましょう。民風土俗をたずねもとめると、民は淳朴で忠厚、かたや名利を求めて軽薄なところもあり、国を治めるためには(注5)、その他の諸侯たちに午門外で朝賀させたらいかがです。」天子これを聞きて大いに喜び、「卿の言葉極めて善し。」と言い、黃門官を通じて天子の意を伝えた。「四鎮の諸侯とは呼んで顔を合わす。その他は午門で朝賀する。」

四鎮の諸侯は朝服を着こなし,玉珮を揺らしながら午門に進み、九龍橋を行き過ぎ、朱塗りの壁の天子のいる宮に着いたところで<万歳、万歳>と言った後ひれ伏した。王は彼らをねぎらっていった。「卿等は朕に代りて、道を広め、法を敷き、民の讚美と教化を行い(注7)、民に安らぎを与え、荒ぶり反抗する者たちを鎮圧して治め、遠き地に威を張り、近き地を安くし、労多し。これ皆卿等の功であるぞ。朕は心から喜ぶ。」 東伯侯が申し出て言った。 「臣等は天子の恩を受け、地方を治める官位を授かっております。臣等は職務を自ら受けておりますが、日夜戦々恐々としており、職務の重さにたえられないのではと恐れております。天子様に対しては罪があります。臣等には犬馬のささやか労があり、臣子としての責任がありますが、はるかに力及びません。陛下の助けが得られ臣等は感激至極でございます!」 天子は龍顏に大きな喜び浮かべ,首相の商容、亞相の比干に命じて顯慶殿で歓迎の宴を催す支度をさせた。四臣は頭をさげて感謝の意を表し、朱塗りの壁を離れて顯慶殿に行き,相次いで宴席に臨んだ。その模様の描写は省略。

天子は朝庭から退き休憩用の別殿に着くと,費仲、尤渾の二人を呼んで問うた。「以前卿は朕に,天下の四鎮大諸侯に美女を差し出す案を申し出、朕はその旨を出そうとしたが、商容のやめるようにとの諫めを受けてやめた。ところで今四鎮の諸侯はここにおる。明日朝早くに召し入れて直接その旨を出したらどうか? 四人が国に戻り、美女を選んで差し出させる使いを送る手間がはぶけるが、二卿の意見はどうか?」 費仲はひれ伏して言った。「首相が美女選びをやめるように申し上げ、陛下はその日に受け入れられ、即実行をとりやめたわけで、これは美徳です。このことは下臣も民も皆知るところで、天下は見上げた行いと見ております。今またこれに反して実行すれば、それは陛下の臣民に対するし信用を失くすことになります。切におやめください。ところで臣が最近知りえたところによりますと、冀州侯の蘇護に一女があり、姿あでやかにして、所作は優雅、性格はしとやか、と聞いております。もし選んで宮殿に入れ、随時そばにおかせて陛下のお世話をさせてはいかがでしょうか。たかだか一人の女性を選びとるのであれば、人々が騒ぎだてするおそれはありませんし、そもそも人の耳や目にはいることもないでしょう。」 紂王これを聞き、思いがけず喜んで言った。「卿の言極めて善し!」 すぐに隨侍官に命じて「蘇護を呼べ。」の旨を伝えさせた。命の使いは宿舎に来てこの旨を伝えた。「宣冀州侯蘇護、国政を論ずべく天子のもとに参れ。」 蘇護はすぐに隨命の使いの者に従って龍德殿に来て朝見。礼が終わると、ひれ伏して命を聞いた。紂王いわく 「朕聞く、卿に一女あり。性格はしとやか、挙止は優雅。後宮に呼んで朕に侍(はべ)らしたいがどうか?卿にとっても国威が揚がり、天祿で食え、爵位を受け、永久に冀州を治め、安楽を享受でき、名は四海に知れ渡り、天下の羨望の的となる。卿の意は如何(いか)に?」と。蘇護はこれを聞き、きっぱりと(注8)申し上げた。「陛下は宮中に上は正室たち、下は嬪御が数千を下りません。美女がたくさんおります。(注9) 耳目を楽しませるのに何の不足がございましょうか? 私は聞いております。まわりの人たちが諂諛(つしょう)の言葉で陛下を不義に陥れている。臣の娘は蒲柳のたち、行き届かない女です。もとより礼儀も知りません。性質も取るに足りません。陛下におかれましては根本に留意されんことを。讒言をする小人は斬り殺し、後世天下に陛下の正心修身の姿を伝え、諫言を受け入れ、好色の君でないことを伝え知らせることほど、美しいことがありましょうか!」 紂王は大いに笑っていわく「卿の言うことははなはだ常識をを知らぬ、というものだ。古来より今まで,誰が娘を朝廷の内に入れることを願わなかった者がいるか? 況んや正室としてその位は天子に匹敵する。(注10)卿は皇族となって国戚が高まり、赫赫(かくかく)たる栄華(注11)、これにしくはない(注12)! 卿よ、思い迷うことはない。みずからよく考えて決めよ。」 蘇護はこれを聞いて、知らずうちにこれまたきっぱりと言った。(注8):「臣は民の君たる者が德を修めて政を行えば、すなわち万民は喜んで服し、四海あまねく従い、天祿は永く続く、と聞いております(注13)。その昔夏朝の失政がありましたが、酒と色におぼれた荒れた日々を送ったためです。我らの先祖が踊りや歌や女性から遠ざかり、私利を追わず、しかして大いなる德ある者に大いなる官位を与え、大いなる功ある者に大いなる賞を与え、寛容にして慈悲深かったからこそ夏を征伐すことができたのです(注14)。その信はあまねく民に知れ渡り、国は栄え、其の天命は永遠です。しかして今陛下は先祖の道を取らずに(注15)、夏王の道を取っていますが、これは敗者の道を取っていることになります(注16)。況や民の君たる者が女色を愛せば、必ずや社稷を転覆させます。高官、大臣が女色を愛せば、必ずや宗廟を絕滅させます。庶人が女色を愛せば、必ずやその身を滅ぼします。君たる者家臣の手本となるべきところ、逆に主君が道をはずせば、臣下も道をはずのです。(注17) しかして悪いことは一斉に起こるもので(注18)天下の出来事、それでも我慢できると言うのでしょうか(注19) 臣は商家(殷朝)六百余年の基業、必ずや陛下がこれを崩すのではと恐れています。」 紂王はこの蘇護の言葉を聞くと、突然大いに怒って言った。「君主命じる。即刻だ(注20)。君主死を賜(たまわ)す。違(たが)えるな。況やその一女を后妃に選んだというのに!はなはだしき雑言をもって天子に逆らう諫言を天子に直言し(注21)、朕を<亡國之の君>と見なす発言、これ以上の大不敬はない!侍官に従って午門に引き連れ出し、正法に照らして裁くよう法司に送れ!」 左右に付き添う武将たちが蘇護を連れ出した。費仲、尤渾の二人が出てきて上殿し伏して申しあげていわく「蘇護天子に逆らう諫言をしましたので、この件は裁にかけるべきです。但し陛下、もとよりその娘を侍らすよう選んだわけですから、もし罪を得たら、天下に知れわたり、陛下は賢者を軽んじ女色を重んじる、と言うでしょうから、うわさが広がるのを止めなければなりません。ここは許して帰国させた方がいいでしょう。さすれば彼は殿下の不殺の恩を感じます。すると自然にその娘を宮殿に差し出し殿下に侍らすでしょう。しかして民は陛下の寛大さ、仁徳の大きさ、諫言を受け入れる度量(注22)、そして陛下は功ある家臣を大事にするのだということ知ることになります。これまさに一挙両得と言うものです。願わくは陛下臣の言うことに準じて行動されんことを。」 紂王これを聞き、その顔を少し晴らして言った。「卿の提案を受け入れよう。即刻赦免して帰国させよ。長らく朝歌に留め置かざるべし。」

天子の命令が一旦下されるや、それは峰火のごとく速やかに処理され、蘇護は即刻城から出され、とどまることは許されなかった。蘇護が朝廷を辞し駅停に戻り着くと、諸侯たちがみな天子との会見の模様について尋ねた。「天子様に呼ばれて朝廷に登ったが、会見は何だったのか?」 蘇護は怒りながら、罵って言った。「道なき間抜け君主。先祖の德業を思いにかけず,讒臣の追従、媚(こび)の言葉を好んで信じ、我が娘を選んで朝廷に入れて妃としようというのだが、 これは費仲、尤渾が酒と色をもって天子の心を惑わして、朝政をほしいままにしようとしているのだ。私が聞くには、私は知らずうちに天子に諫言したが、間抜け君主は天子に逆らう諫言を直言したという罪を私に言い渡したし、司法行きとなった。ところが、この悪人二人がバカ天子に進言して、私の罪を許して帰国ということなったが、これは私がバカ天子の<殺さずの恩>に感じ入って娘を朝廷に入れるだろう、という算段なのだ。私は、この二悪人が聞太師が遠征中なのをいいことにして権力をもてあそび、腑抜け天子を酒と色におぼれさせ、朝政を混乱させ、天下を荒廃させ、民を苦しませ、悲しくも成湯の社稷をなきものとしているのだ、と見ています。私自身はこう思います。すなわち、もし娘を朝廷に入れなかったならば、あの間抜け君主は必ずやまた罪を追及をするでしょう。もし娘を朝廷へ送ったら、バカ天子の失德天子となり,天下の人々に恥をさらし嘲笑されるのでしょうか。私にはよくわかりません。みなさん、もし何かいい策があればお教え願いたい。」 皆はこの言葉を聞いてそろって言った。「われられは聞いている 『君主不正なれば則ち臣は国の外に身を投ず投ず』 と。今君主は賢き者を軽んじ、好色を重んじて、乱れきっているようですので、反商(殷朝)に出るにしくはないでしょう。そして自らその国を守り、しかして上は宗社を守り、下は一家を守るべきです。」 この時蘇護は正に怒りの盛り、このことを聞くと、気が立つのもわからず、思いもかけず言った。「みなさん、正しくないことはできないのだ。」と。そして左右に向かって「文房四宝を持って来い。午門の壁にわが永遠に反商(殷朝)の意を示す詩を書くのだ」 と叫んだ。その詩いわく:

      「君壞臣綱,有敗五常。冀州蘇護,永不朝商!(君の徳は崩れ、臣の徳は確か、五常は
       やぶれる。冀州の蘇護,永遠に反商!)」(注24)

蘇護はこの詩を書き終えると、部下の家将を引き連れて朝歌を出て、自国に向かって去って行った。


しばらくして紂王は蘇護が面と向かって諫言したことなどで、願いが思いどうりにならなかった。「費、尤の二人の提案に従ったものの、蘇護が娘を朝廷に送って来て、男と女の楽しみがかなえられるかどうかはわからないではないか?」 と思い悩み心たのしからず、だった。そこへ午門の內臣がひれ伏して報告しに来たのが見えた。「臣が午門にて壁を見ると、蘇護が書いた反抗の詩十六文字がありました。隠すこと能わず、伏して報告もうしあげ、陛下のお裁きを乞う次第です。」 お付の者が詩の書かれた紙を皇帝の机の上に広げた(注26) 紂王はこれを見ると大声で罵って言った。「あの不届き者め、かくも無礼なことを! 朕が上天の生を尊ぶ德、悪党も殺さぬ徳を示して特赦して帰国させたてやったというのに、奴(やつ)め午門の壁に反朝の詩を書くとは、朝廷を辱(はずかし)めること極めて大なり。この罪は決して許されぬ!」 そして即刻命じた。「殷破敗、晁田、魯雄等の六師を従え、朕親征す。必ずやその国を叩き潰すのだ!」(注27) 駕官に魯雄等を出廷させるように命じた。ほどなく,魯雄等が朝見し、礼が済むと王は言った。「蘇護が反商の行いを起こし、午門に反商の詞を書いた。朝廷をはずかしめることはなはだしく、心に遺憾なりこととりわけなり。法律、規律から受け入れ難し。卿等はすぐに人馬二十万萬をそろえて先鋒となり、朕自ら六師を率い、その罪を以聲其罪(注28)。」魯雄は聞きおえると、首をたらして考えた、「蘇護は忠実で良いひとだ。平素から忠義で、何事で天子に逆らい、天子みずから親征して冀州を征伐しようとは!」魯雄は蘇護のためひれ伏していった、「蘇護は陛下に対して罪を得たとはいえ、なにをわざわざ親征の労を取る必要がありましょうか。況や四大諸は都に滞在していて、帰国しておりません。陛下は征伐を命じ,蘇護を捕らえ、その罪を明らかにすれば、自ら征伐に行くの威を失うことはありませ。何んで遠い地に親征する必要がありましょうか。」紂王問いていわく、「四侯のうち、誰が征伐にいくのか?」費仲は傍らにいたが、前に出て言った、「冀州は北方の崇侯虎の属しています。侯虎に征伐を命じらたらどうでしょうか。」紂王はすぐに実行をを許した。魯雄は側にいて考えた、「崇侯虎は貪婪、卑俗、橫の匹夫だ。兵をあげて遠征すれば、通り過ぎていく地方は必ず悲惨な目に合う。庶民は平安でいられなくなる。今西伯姬昌がおり、仁德は四方あまねく知れ渡り、その信義は平素から明らかだ。この人物をを推薦すれば朝廷側、蘇護側ともうまくいくだろう(注29)。」紂王はまさに命令を下すところであったが,魯雄奏していわく、「侯虎は北方を治めているといえ、仁徳と信用はまだ確かではありません。朝廷の威德を広げるかどうかは不安であります。一方、西伯姬昌はその仁義は平素から聞いており、陛下が征伐の権限を与える(注30)には西伯姬昌にしくはありません。しかして陛下は自ら労を取ることなく蘇護を捕らえ、その罪を正すことができます。」紂王はしばらく考えてから、双方の申し出を受け入れて命令を出した。特別な命令で二侯は正式に天子に代わって征伐する権限を与えられることになった。特別な命令の読み上げは顯慶殿で行われらのだが、省略。 

四鎮諸侯と二相の宴はまだ終わっていなかった。そこへ突然「命令下る」の報がはいってきたが何事かは知らなかった。天子の使者は言った、「西伯侯、北伯侯命令を受けよ。」 二侯は出向いて命令を受け跪いて命令が読まれるのを聞いた。

「詔(みことのり)いわく、:朕は冠と履もの違いは厳格に守らねばならないと聞いている。君に仕えるに二心があってはならぬ。(注32) 故に君が招じれば、直ちに参上せねばならぬ。(注34) 君が死を命ずれば、命令に反することはならぬ。尊卑の差があるべきで(注35)、家臣は誇り高き任務なり。ここに無道の蘇護、頭狂いて理に悖(もと)り、無礼にして、殿に立ちて君を批判した。紀綱はすでに失われた。帰国を許されたが、悔い改めることなく、臆するところなく午門に詩を書きつけ、堂々と主君に反抗。その罪は許されぬ。。朕は姬昌等汝等に征伐の権限を与え、よろしく実行し,行きてその天子批判を懲らしめて寛容ざるべく、罪を得させて帰国せよ。ここに詔を汝等に発する。天子の命令なり。(注35)  謝恩(注36)

天子の使者が読み終えると、二侯は感謝の意を示してから身を起こした。(注37) 姬昌は對二丞相と三侯伯に向かっていった:「蘇護は商に朝貢はしているがまが宮殿に進んだことはない。宮殿に進んだことがないのになぜ<殿に立ちて君を批判する>ようなことができるのか。この話、一体とはどこから出てきたのか?もとより蘇護はその心素にして忠義。軍功も重ねている。午門に書いた反抗詩は偽作に違い無い。偽作とすれば天子は誰かの言葉を信用したして有功の臣を征伐ししようとしているのだろう。天下の諸侯が不服に思うのではないかと心配する。望むらくは丞相ふた方は明朝天子にまみえ、どんな罪を得たのか詳しい事情を調べられんことを。もし本当なら征伐に行こう。もし本当でないなら、征伐は取りやめる。比干は言った:「本当のことです。」 崇侯虎は傍らにいて言った:「『王言如絲,其出如綸。』(注38)すでに命令は下ったのだ。誰が反対できるのか。ままして蘇護は午門に反抗詩を書きつけた。証拠はある。天子がゆえなくこの命令を発するとはない。今八百の諸侯が王命に従わず,勝手気ままがのさばれば、天子の命令は従われず、世の混乱に陥る。」姬昌は言った:「公の言はなるほどと言えるが、事に一端にすぎないかもしれぬ。公は知らないのだ、蘇護が忠良な君臣、その心は素にして誠、国に忠心を尽くし、民の教育は惜しまず、軍事は正当に行い、数年来過ちをしたことがない、ことを。 今天子は誰に迷惑をかけているかを知らず、はたまた善人に罪をかぶせている。このことは善き国でないことを示す一端と心配する。ねがわくは今は事を起こさず戦火を交えず、殺戮をせずに堯統治の時の世を楽しむことを。いわんや軍兵は凶兆、軍兵の通るところは驚きと憂いを引き起こし、民を苦しませてその財を傷め、窮兵は武をかってに使い、名目なくし戦闘に出る。これみな善くない世に起こるものです。」崇侯虎は言った:「公の言うことはもっとも言えるが、わたしは君命に間違いがあるとは思わない。すべてが自分のしたいようになるものではない。(注40)煌煌たる(輝く)天子の言葉、誰が敢えて間違いといえるのか。公みずから罪を被ることになりかねまい。昌は言った:「かくなれば、公は兵を率いてまず先に行き、わが兵は後から従いましょう。」これで解散となったが、西伯は二丞相に向かって言った、:「侯虎公が先に行き、私は先ず西岐に戻り、兵をつれてあとから行きましょう。」かくして皆解散した。


 

 

 次日,崇侯虎下教場,整點人馬,辭朝起行。
  且言蘇護離了朝歌,同眾士卒,不一日回到冀州。護之長子蘇全忠率領諸將出郭迎接。其時父子相會進城,帥府下馬。眾將到殿前見畢。護曰:「當今天子失政,天下諸侯朝覲,不知那一個奸臣,暗奏吾女姿色,昏君宣 吾進殿,欲將吾女選立宮妃。彼時被我當面諫諍,不意昏君大怒,將我拿問忤旨之罪,當有費仲、尤渾二人保奏,將我赦回,欲我送女進獻。彼時心甚不快,偶題詩 帖於午門而反商。此回昏君必點諸侯前來問罪。眾將官聽令:且將人馬訓練,城垣多用滾木砲石,以防攻打之虞。」諸將聽令,日夜防維,不敢稍懈,以待廝殺。



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(注1)

 詩曰:丞相金鑾直諫君,忠肝義膽孰能群。早知侯伯來朝覲,空費傾葵紙上文。

冒頭の詩は凝っていいるで、難しい。大体がこれから展開するストーリーの大概略と’見ていい。

<金鑾>はいろいろな意味が派生しているが、ここでは紂王の時代にはなかった官吏のようだが<翰林學士的美稱>か?  (luán )は 1)一種鈴鐺: ~鈴。2)古代帝王的車駕上有

1.  帝王車馬的裝飾物。 金屬鑄成鸞鳥形, 因指代帝王車駕。

前蜀 毛文錫 《柳含煙》詞: “昨日金鑾巡上苑, 風亞舞腰纖軟。” 

2.  見“ 金鑾殿 ”。   

3.  翰林學士的美稱。

唐 元稹 《祭翰林白學士太夫人文》: “仲則金鑾之英, 季則蓬山之選。”
宋 梅堯臣 《送白鷴與永叔依韻和公儀》: “玉兔精神憐已久, 金鑾人物世無雙。” 

《文獻通考‧職官八》: “前朝因 金鑾坡 以為門名, 與翰林院相接, 故為學士者稱金鑾以美之。 

以下略


<忠肝義膽>は四字成語で、忠心赤胆(膽)、忠心耿耿、赤胆忠心、とういのも後から出てくる。<赤胆>も<強い忠誠(忠義)心>の意。

耿耿 ( gěnggěng)は多義語。

(1) [be troubled]∶心中挂怀,烦躁不安的样子
夜耿耿而不寐兮,魂茕茕而至曙。——《楚辞·屈原·远游》
耿耿于怀
(2) [bright;shining]∶明亮;显著;鲜明
秋河曙耿耿,寒渚夜苍苍。——谢眺《夜发新林至京邑》
(3) [dedicated]∶诚信守节的样子
忠心耿耿为祖国
进雄鸠之耿耿兮,谗介介而蔽之。——· 刘向《九叹·惜贤》


<忠心耿耿>は太師の聞仲の形容詞としてあとで何度も出てくる。

 (shú )は虚詞
 1. 谁,哪个:~是~非。
 2. 什么:是可忍,~不可忍?
 3. 用在表示抉择的反问语句中,有比较的意思:~与。~若。~何。
 
<能群>は<謂善于組織人力和物力。>という解説がある。かなり古い語だ。
《荀子‧王制》: “力不若牛, 走不若馬, 而牛馬為用, 何也?曰: 人能群, 彼不能群也。”
《荀子‧君道》: “君者, 何也?曰: 能群也。
 
つまりは<統率力がある、まとめる力ある> なのだが
 
忠肝義膽孰能群>はどう解釈したらいいのか? よくわからないので
 
 忠肝義膽孰能群。 - それは強い忠義心からだが、忠義心はときにうまく働かぬ。
 
としておいた。

傾葵>は<葵花傾向太陽。 比喻忠誠>。という解説がある。これはそれほど古くはないようだ

 明 梁辰魚 《浣紗記‧論俠》: “孝道略盡, 忠誠未孚, 思欲報寸草之心, 申傾葵之意。”
 明 鄭若庸 《玉玦記‧擄掠》: “愿俱亡不負傾葵, 肯偷生去學飛蓬?”參見“ 傾陽 ”。



(注1)の解説が長くなってしまったが、<諫言と忠義心>は封神演義では頻繁に出てくる。諫言はほとんど紂王に対する家臣の諫言だが正妻(中宮)の姜氏のほとんど絶望的な下記の諫言もある。


第七回 費仲計廢姜皇后 (この話はドラマチックだ。)

(妾願陛下)改過弗吝,聿修厥德親師保,遠女侍,立綱持紀,毋事宴遊,毋沉酗於酒,毋怠荒於色;日勤政事,弗自滿假,庶幾天心可回,百姓可安,天下可望太平矣。

 

妾:私 = 正妻(中宮)の

改過弗吝

過:あやまち
弗:本義是矯正,後常用義是作否定副詞,相當於“不”。
吝:可惜(おしむ)なので、改正错误态度坚决,不犹豫。  

したがって<改過弗吝>は<あやまちを改むるにおしむことなかれ>となる。

聿修厥德 读音:[yù] [xiū] [jué] [dé]

聿修厥德“出自《诗经》“无念尔祖,聿修厥德”的诗句,发扬祖宗的真德真性,修好个人的道德。

聿と厥は意味と日本語の発音がすぐにはわからない。

聿:發語詞(虚詞),用於句首或句中,無義
厥: これがなくても<修德>で意味が通じる。

代〉1) 其;他的;她的 [its,his;her]

 この意味を使うと<修好个人的道德>になる。

 弗自滿假

弗>は否定(命令)で、上の意味をあげてある。つまりは

<自滿>する(になる)なかれ。  <假>は<いつわり>か?

 
忠誠(忠義)心については逆説的に裏切り者に対する紂王の<なじり言葉>にもでてくる。忠誠(忠義)の欠如をなじるのだ。またこれよりも頻繁にでてくるのは、まじめな家臣や諸侯が紂王によって訳もなく(実際の罪もなく)殺されたり、不遇な目にあった時に<恨(うら)みの言葉>として忠誠(忠義)心が取り上げられる。忠誠(忠義)心があるにもかかわらず不義(injustice)な扱いを受けている、と言うことだ。つまり、<家臣も義を行うが、君主も義を行う>という契約、不文律みたいなものだ。不義(injustice)な扱いについての中国語は発達しており、封神演義で使われている。日本人にとっては、理解はさほで難しくはないが、日本語には訳しにくい。これは前にも<冤>に関して少し説明した。


冤 - English として

bad luck(不運)、enmity(敵意)、wrong (間違い)、grievance (恨み), injustice (不正)

があげられといるが、 とは意味が少しずれている。 日本語の方も<無実の罪、罰>のようになって一語ではあらわせないようだ。大和言葉では<濡れ衣を着せられる>という言い方があり、長いがこれ冤にあたるかもしれない。だが濡れ衣>は比喩だ

(注)の付録としての解説が長くなりつつあり、横道にそれるので、諫言と忠誠(忠義)心については、特に忠誠(忠義)心については別途あらてめて考えてみるつもり。裏切りに関連して忠誠(忠義)の欠如を指摘する紂王の<なじり言葉>に対する裏切り弁護の<決まり文句>も用意されているのが中国らしい。そしてこのような<決まり文句>が、封神演義のストリー展開では、行動を起こす大きな動機、要因になり、<決まり文句>は行動規範ともいえる。もっとも、見方によっては口実、言い訳といえる。

(注2)妃嬪,嬪妃、嬪御


歴史上は次のような説明がある。 

 Chinese Wiki



四妃,以象后妃四星。其一明者为正妃,余三小者为次妃,帝尧因焉。至舜,不告而娶,不立正妃,但三妃而已,谓之夫人。夏后氏增以三三而九,合十二人。春秋说‘天子娶十二女’,即夏制也。以虞夏及周制差之,则殷人又增以三九二十七,合三十九人。周人上法帝喾,立正妃,又三二十七为八十一人以增之,合百二十一人。其位后也,夫人也,嫔也,世妇也,女御也,五者相参,以定尊卑焉。” 


封神演義の話からすれば周朝では正室の数は少なくなってもよさそうだが、逆に増えている。世の中が豊かになって余裕が出てきた証拠か。


さらには

中国通俗文化中,描绘为“三宫六院七十二妃”、“后宫妃嫔三千”或“佳丽三千[3]”。除了正式册封的妻妾外,后宫中有人数众多的宫女,因為皇帝有权与她们发生性关系並有機會成為妃嬪,而会被视为君主的准妾室。因此广义上,君主妾室的人数可至万人,甚至数万。

と言う解説もあり、この種の欲望は際限がないが、気の遠くなるようなだ。本当とすると、紂王の計画は極めてつつましい部類に入る。 


(注3)景
 
景星( jǐnɡ xīnɡ)はただの星ではない。
词语解释
景星: 大星;德星;瑞星。古谓现于有道之国。《文子·精诚》:“故精诚内形气动于天,景星见,黄龙下,凤凰至,醴泉出,嘉穀生,河不满溢,海不波涌。” 汉 王充 《论衡·是应》:“古质不能推步五星,不知岁星、太白何如状,见大星则谓景星矣。”《晋书·天文志中》:“瑞星,一曰景星。” 清 孔尚任 《桃花扇·先声》:“景星明,庆云现。”


(注4) 

原文<雖堯、舜不過如是;又何必區區選侍>は難しい。

雖は普通although;thoughの意味だが、ここでは僅,只[only] 、 原本,本[originally] の方がよさそう。<不過如是>は<不如此>の意。

何必>は反語で、<XXする必要はない>。

<堯、舜はただかくの如し。たかが側室、今いりますか?いらないのです。>とでもなろう。

雖      although;though;
     
(1)
雖 (suī)
(2)
(形聲。從蟲,唯聲。古讀(huī)。本義:蟲,似蜥蜴而大)
秦兵旦暮渡易水,則雖欲長侍足下,豈可得哉?――《戰國策·燕策》
齊國雖褊小,吾何愛一牛!――《孟子·梁惠王上》
(3)
又如:雖故(雖然);他雖身負重傷,但堅決不下火線
(4)
即使…也;縱使[even if]
雖人有百口,手有百指,不能指其一端。――《虞初新志·秋聲詩自序》
先王之法,經手上世而來者也,人或益之,人或損之,胡可得而法?雖人弗損益,猶若不可得而法。――《呂氏春秋·察今》
(5)
僅,只[only]
雖有明君,能決之,又能塞之。――《管子》
(6)
原本,本[originally]
你那裏休誇口,你雖是一人為害,我與那陳州百姓每分憂。――《陳州糶米》


不过如是
 
“是”在顾古文中的意思是“这”。这句话就是”不过如此”的意思。
 
>が<>の意と言うのは現代中国語になれた人には驚きだが、意味の変遷を考えるとおもしろい。

<我是日本人>は使える中国語だ。<私は日本人(です)>


我 = 私

是 = は xx (です)

日本人 =   日本人

<是>に対応する日本語はもっともらしいが、いかにも特殊だ。<是>は<は>でも<です>でもない、といっていい。

一方英語では

I am Japanese.

で <是>は<am(be)>に対応する。これが現代中国語の<是>だ。<是>、<am(be)>はcopula (繋辞)とも言う。

<不过如是>には主語がないが、主語(A)を足すと

昔風の言い方では<A不过如是>で<不过如是>ではない。一方現代中国語では<不过如这>となる。これは文法上大きな違いだ。

中国語のcopula (繋辞)の変遷は文法的におもしろいので、封神演義に出てくるものを取り上げて検討する予定。


何必
【基本解释】何,什么;必,一定,一定要,一定会。
意为“为什么一定要”或“为什么一定会”,以反问的语气表示不必或未必。

用反问的语气表示不必

區區 (相当な多義語)
 
1.微小。左傳.襄公十七年:「宋國區區,而有詛有祝,禍之本也。」舊唐書.卷一一一.張鎬傳:「臣聞天子修福,要在安養含生,靖一風化,未聞區區僧教,以致太平。」戔戔


2.自稱的謙詞。文選.李陵.答蘇武書:「區區之心,切慕此耳。」文選.李密.陳情表:「母孫二人更相為命,是以區區不能廢遠。」

3. 志得意滿的樣子。商君書.修權:「今亂世之君臣,區區然皆擅一國之利,而管一官之重,以便其私。」

4. 忠誠、愛戀。文選.古詩十九首.孟冬寒氣至:「一心抱區區,懼君不識察。」樂府詩集.卷七十三.雜曲歌辭十三.古辭.焦仲卿妻:「新婦謂府吏:『感君區區懷,君既若見錄,不久望君來。』」

5. 胸襟不開朗。董西廂.卷一:「莫區區,好天良夜且追遊。」

6. 憨愚,死心眼。樂府詩集.卷七十三.雜曲歌辭十三.古辭.焦仲卿妻:「阿母謂府吏:『何乃太區區。』」隋書.卷六十四.來護兒傳:「會為國滅賊以取功名,安能區區久事隴畝!

7. 辛苦、殷勤。董西廂.卷一:「區區四海遊學,一年多半,身在天涯。」元.鄭光祖.㑳梅香.第二折:「小生區區千里而來,只為小姐這門親事。」



选侍,中国明代太子妾室等级之一。
地位次于才人、而高于淑女。此封号目前仅见明朝使用。

(注

ここは商容の<ほめ言葉>、<けなし言葉>、<いさめ言葉(諫言)>が並んでいる。悪く言えばこれらの<決まり文句>の羅列で、独自の考え、意見がない。

ほめ言葉 - 舜與民偕樂,以仁德化天下,不事干戈,不行殺伐,景星耀天,甘露下降,鳳凰止於庭,芝草生於 野;民豐物阜,行人讓路,犬無吠聲,夜雨晝晴,稻生雙穗;此乃有道興隆之象也。

けなし言葉 - 今陛下若取近時之樂,則目眩多色,耳聽淫聲,沉湎酒色,遊於苑圃,獵於山 林,此乃無道敗亡之象也。

いさめ言葉 - 臣願陛下:進賢,退不肖,修行仁義,通達道德,則和氣貫於天下,自然民富財 豐,天下太平,四海雍熙,與百姓共享無窮之福。況今北海干戈未息,正宜修其德,愛其民,惜其財費,重其使令,雖堯、舜不過如是;又何必區區選侍,然後為樂哉?臣愚不識忌諱,望祈容納。」

雍熙yōng xī):和樂的樣子。

いさめ言葉>はあたりまえだが<XXするな>、<XXは差しひかえよ>で<XX>の部分は<けなすべき内容>、<YYせよ>で<YY>の部分は<ほむべき内容>となる。

ここでは、羅列した<決まり文句>の多さからか、めずらしく紂王は諫言を聞き入れ:「卿言甚善,朕即免行。」と言う。

 (注6)

四大諸侯とは東伯侯の姜桓楚、南伯侯の鄂崇禹、西伯侯の姬昌,北伯侯の崇侯虎だ。

 

(注7)

この個所はむずかしい。原文は

採問民風土俗,淳龐澆競,國治邦安

だが、
 

采问(采问) 
搜集访问。《后汉书·羊续传》:“观历县邑,采问风谣。”《元典章·吏部六·钞法》:“ 真定路 总管 姚中 奉呈采问到釐革事内一件。”《二刻拍案惊奇》卷十一:“死后数月,自有那些走千家管闲事的牙婆每,打听脚踪,采问消息。”

搜集訪問。

 《后漢書‧羊續傳》: “觀歷縣邑, 采問風謠。”
《元典章‧吏部六‧鈔法》: “ 真定路 總管 姚中 奉呈采問到厘革事內一件。”
 《二刻拍案驚奇》卷十一: “死后數月, 自有那些走千家管閑事的牙婆每, 打聽腳蹤, 采問消息。”

淳庞

亦作“湻庞”。犹淳厚。(淳厚 = 淳朴敦厚。形容人十分诚实,脾气温和性情憨厚, 忠厚。)


澆競

1.谓追名逐利的浮薄风气。
2.谓浮薄争逐。 

を参考にすると、首相商容の紂王に対する言葉なので


民風土俗>をたずねもとめると、民は淳朴で忠厚、かたや名利を求めて浮薄なところもあり、国を治めるためには>とでもなるか?

  
(注7)宣猷贊化 . . . . .

公の場で天子と大諸侯の発話で<宣猷贊化>以下見慣れない言葉が並ぶ。適当に訳しておいた。<涓涯>の意味のように中国人でも分かりかねるところもある。

宣猷贊化: 宣. xuān. 一說據甲骨文為雲氣 ... 教義進行法事活動所設的講臺) ; 宣和(顯示 ;弘揚) ; 宣猷贊化 (宣道弘法,讚美教化)。

これは道教用語のようで、ここでは他の意味か?


(yóu): 计谋,打算,谋划:新~。宏~。鸿~。


荷蒙: 承諾

兢兢: 小心謹慎的樣子。

<戦々恐々>は本来<
戦々>だ。


1. 罪:无~。~功(罪行)。死有余~。
2. 负,背:~负。
3. 姓。


涓涯
涓,细流。涯,山脚下,水旁边。涓涯,这里指水的意思。 词语解释不仅要弄清其本义,更讲究将词语置于句中,联系上下文解释。 词语出自第二回:“……纵有犬马微劳,不过臣子分内事,倘不足报 涓涯 於万一耳!……”。 显然这里指“君恩雨露”,没有解释,换词而已。 --‐--
涯,水旁边,山脚下!……”涓,没有解释,细流,不过臣子分内事。显然这里指“君恩雨露”:“……纵有犬马微劳。涓涯,倘不足报 涓涯 於万一耳,这里指水的意思,联系上下文解释。 词语出自《封神演义》第二回。
词语解释不仅要弄清其本义,。换词而已,更讲究将词语置于句中 


(注8)正色厲聲

ここは<正色而奏曰>で<正色>だけだが<正に色を成して>の意ではない。<正色厲聲>の四字成語で次のような意味がある。

正色厲聲  【拼音】:zhèng sè lì shēng

【釋義】:態度嚴正,言辭嚴厲。


後の方で<厲聲>が出てくる。<厲聲>だけでは下記の解説があるが、<正色厲聲>の四字成語の一部ととらえた方がいいだろう。

拼音:lì shēng
释义:指严厉的声音。


(注9) 妖冶嫵媚


词语】:妖冶
释义】:艳丽: 皓齿明眸,异常妖冶。也指艳而不正派:虽是照人的明艳,却不飞扬妖冶。
同义词】:妖冶——艳丽,多指妖媚而不庄重。司马相如上林赋》:“妖冶娴都。”归有光《山茶》诗:“虽具富贵姿,而非妖冶容。”

妩媚一般用来形容女子姿容美好,可爱,柔媚的风格。一般极少用在年幼女性身上。

 美人の形容もいろいろある。


(注9)貴敵天子

難しいようだが<匹敵する>と言う言葉があり、<その高い位は天子に匹敵する>の意。似たような<親不敵>の意味では<親族のつながりは高い位にはかなわない>--><人情淡薄>。王侯,富比天子>(その高い位は王侯に匹敵し、その富は天子の富に匹敵する)では<敵>、<比>の順で出てくる。

<匹敵する>はあるいみでは比較表現。

A は B に匹敵する。

A は B に比べられる。

A は B に及ぶ。

The position of the first wife of the king is high as that of the king itself.


(注10)赫奕顯榮

赫奕:光明顯盛的樣子

顯榮:顕赫而栄華

古くてめったに聞かないが<赫赫(かくかく)たる>という言い方がある。


(注11)孰過於此

孰>は古語、文書語だろうが、次のような意味がある。
 
 1. 谁,哪个:~是~非。
 2. 什么:是可忍,~不可忍?
 3. 用在表示抉择的反问语句中,有比较的意思:~与。~若。~何。
 4. 古同“”,程度深。

<次のような意味がある>と書いたが虚詞に近い。


(注12)

現代語では>と言うのをよく聞く。<知らない(意識しない)うちに>の意だ。>だけでも同じような意味だ。

1. 沒有察覺、感覺不到。文選.張衡.東京賦:「流遁忘反,放心不覺。」儒林外史.第五十三回:「陳木南起首還不覺的,到了半盤,四處受敵。


2.某動作出於自然而非做作。文選.潘岳.悼亡詩三首之二:「撫衿長歎息,不覺涕霑胸。」紅樓夢.第二十八回:「不覺慟倒山坡之上,懷裡兜的落花撒了一地。


3. 不料,
意想不到。儒林外史.第二十二回:「牛浦眼瞪瞪的望著牛玉圃的臉說,不覺一腳蹉了個空,半截身子掉下塘去。」



(注13)四海景從,天祿永終

緊相追隨,如影隨形。《文選.賈誼.過秦論》:「斬木為兵,揭竿為旗,天下雲集響應,贏糧而景從。」唐.陳鴻《長恨傳》:「內外命婦,熠耀景從。」


雲集景從
【拼音】:yún jí jǐng cóng
【釋義】:如雲聚合,如影隨形。比喻聲勢浩大,回應迅速


論語の中に<堯曰>と言う話がある。(http://ctext.org/analects/yao-yue/)

堯曰:

堯曰:「咨!爾舜!天之曆數在爾躬。允執其中。四海困窮,天祿永終。」 舜亦以命禹。曰:「予小子履,敢用玄牡,敢昭告于皇皇后帝:有罪不敢赦。帝臣不蔽,簡在帝心。朕躬有罪,無以萬方;萬方有罪,罪在朕躬。」周有大賚,善人是富。「雖有周親,不如仁人。百姓有過,在予一人。」謹權量,審法度,修廢官,四方之政行焉。興滅國,繼絕世,舉逸民,天下之民歸心焉。所重:民、食、 喪、祭。寬則得眾,信則民任焉,敏則有功,公則說。


英訳 

Yao Yue:
Yao said, "Oh! you, Shun, the Heaven-determined order of succession now rests in your person. Sincerely hold fast the due Mean. If there shall be distress and want within the four seas, the Heavenly revenue will come to a perpetual end." Shun also used the same language in giving charge to You. Tang said, "I, the child Lu, presume to use a dark-colored victim, and presume to announce to Thee, O most great and sovereign God, that the sinner I dare not pardon, and thy ministers, O God, I do not keep in obscurity. The examination of them is by thy mind, O God. If, in my person, I commit offenses, they are not to be attributed to you, the people of the myriad regions. If you in the myriad regions commit offenses, these offenses must rest on my person." Zhou conferred great gifts, and the good were enriched. "Although he has his near relatives, they are not equal to my virtuous men. The people are throwing blame upon me, the One man." He carefully attended to the weights and measures, examined the body of the laws, restored the discarded officers, and the good government of the kingdom took its course. He revived states that had been extinguished, restored families whose line of succession had been broken, and called to office those who had retired into obscurity, so that throughout the kingdom the hearts of the people turned towards him. What he attached chief importance to were the food of the people, the duties of mourning, and sacrifices. By his generosity, he won all. By his sincerity, he made the people repose trust in him. By his earnest activity, his achievements were great. By his justice, all were delighted.


四海景從,天祿永終(封神演義)と 

<四海困窮,天祿永終(論語)>は英文のような意味だが、<景從>に<困窮>の意味はないので<四海景從,天祿永終>(封神演義)はおかしい。<四海景從,天祿永>の間違いか?


(注14) 惟我祖宗不邇聲色 xxxx


封神演義

<xxxxx;惟我祖宗不邇聲色,不殖貨財,德懋懋官,功懋懋賞,克寬克仁,方能割正有夏,彰信兆民邦乃其昌永保天命。今陛下不取法祖宗,而效彼夏王,是取敗之道也。況人君愛色,必顛覆社稷;卿大夫愛色,必絕滅宗廟;士庶人愛色,必戕賊其身。且君為臣之標率,君不向道,臣下將化之,而朋比作奸,天下事尚忍言哉!臣恐商家六百餘年基業,必自陛下紊亂之矣。」 


《尚書》の《商書》<仲虺之誥>の中に次のような記述がある。《商書》は偽書ということになっている。

仲虺之誥

仲虺乃作誥,曰:「嗚呼!惟天生民有欲,無主乃亂,惟天生聰明時乂,有夏昏德,民墜塗炭,天乃錫王勇智,表正萬邦,纘禹舊服。茲率厥典,奉若天命。夏王有罪,矯誣上天,以布命于下。帝用不臧,式商受命,用爽厥師。簡賢附勢,寔繁有徒。肇我邦于有夏,若苗之有莠,若粟之有秕。小大戰戰,罔不懼于非辜。矧予之德,言足聽聞。惟王不邇聲色,不殖貨利。德懋懋官,功懋懋賞。用人惟己,改過不吝。克寬克仁 彰信兆民。乃葛伯仇餉,初征自葛,東征,西夷怨;南征,北狄怨,曰:『奚獨後予?』攸徂之民,室家相慶,曰:『徯予后,后來其蘇。』民之戴商,厥惟舊哉! 佑賢輔德,顯忠遂良,兼弱攻昧,取亂侮亡,推亡固存,邦乃其昌。德日新,萬邦惟懷;志自滿,九族乃離。王懋昭大德,建中于民,以義制事,以禮制心,垂裕後昆。予聞曰:『能自得師者王,謂人莫已若者亡。好問則裕,自用則小』。嗚呼!慎厥終,惟其始。殖有禮,覆昏暴。欽崇天道,永保天 命。」

英訳 
Announcement of Zhong-hui

On this Zhong-hui made the following announcement:

 'Oh! Heaven gives birth to the people with (such) desires. that without a ruler they must fall into all disorders; and Heaven again gives birth to the man of intelligence to regulate them. The sovereign of Xia had his virtue all-obscured, and the people were (as if they had fallen) amid mire and (burning) charcoal. Heaven hereupon gifted (our) king with valour and prudence, to serve as a sign and director to the myriad regions, and to continue the old ways of Yu. You are now (only) following the proper course, honouring and obeying the appointment of Heaven. The king of Xia was an offender, falsely and calumniously alleging the sanction of supreme Heaven, to spread abroad his commands among the people. On this account God viewed him with disapprobation, caused our Shang to receive his appointment, and employed (you) to enlighten the multitudes (of the people).'
'Contemners of the worthy and parasites of the powerful, many such followers he had indeed: (but) from the first our country was to the sovereign of Xia like weeds among the springing corn, and blasted grains among the good. (Our people), great and small, were in constant apprehension, fearful though they were guilty of no crime. How much more was this the case, when our (prince's) virtues became a theme (eagerly) listened to! Our king did not approach to (dissolute) music and women; he did not seek to accumulate property and wealth. To great virtue he gave great offices, and to great merit great rewards. He employed others as if (their excellences) were his own; he was not slow to change his errors. Rightly indulgent and rightly benevolent, from the display, (of such virtue), confidence was reposed in him by the millions of the people.
'When the earl of Ge showed his enmity to the provision-carriers, the work of punishment began with Ge. When it went on in the east, the wild tribes of the west murmured; when it went on in the south, those of the north murmured: they said, "Why does he make us alone the last?" To whatever people he went, they congratulated one another in their families, saying, "We have waited for our prince; our prince is come, and we revive." The people's honouring our Shang is a thing of long existence.'
'Show favour to the able and right-principled (among the princes), and aid the virtuous; distinguish the loyal, and let the good have free course. Absorb the weak, and punish the wilfully blind; take their states from the disorderly, and deal summarily with those going to ruin. When you (thus) accelerate the end of what is (of itself) ready to perish, and strengthen what is itself strong to live, how will the states all flourish! When (a sovereign's) virtue is daily being renewed, he is cherished throughout the myriad regions; when his mind is full (only) of himself, he is abandoned by the nine branches of his kindred. Exert yourself, O king, to make your virtue (still more) illustrious, and set up (the standard of) the Mean before the people. Order your affairs by righteousness; order your heart by propriety - so shall you transmit a grand example to posterity. I have heard the saying, "He who finds instructors for himself, comes to the supreme dominion; he who says that others are not equal to himself, comes to ruin. He who likes to put questions, becomes enlarged; he who uses only his own views, becomes smaller (than he was)." Oh! he who would take care for the end must be attentive to the beginning. There is establishment for the observers of propriety, and overthrow for the blinded and wantonly indifferent. To revere and honour the path prescribed by Heaven is the way ever to preserve the favouring appointment of Heaven.' 


同じ四字成語が多い。コピーと言うよりは良く知られた四字成語なのだろう。《商書》の方には下線部以外にも封神演義にも出てくるものがある


<惟>字是用来表示只有、仅仅、只是、希望等意思,常用做动词或副词。“惟”与“唯”两字多可互通使用,只在部分特定词语中不通用。一字だが漢文読みでは<願わくはただ>、<ただ願わくは>も考えられるが、後から出てくる<方能割正有夏>(xx して初めて、という言い回し)との連結を考えると<只有、仅仅、只是>でもいいだろう。


不邇聲色: 邇 = 近い

不殖貨利: <貨利>はここでは<私利>だろう。

“德懋懋官,功懋懋赏。” 孔传:“勉于德者则勉之以官,勉于功者则勉之以赏。” To great virtue he gave great offices, and to great merit great rewards.

:1. 勤奋努力。2. 古同“”,盛大。3. 勉励,鼓励。4. 美。5. 高兴。

克寬克仁: Rightly indulgent and rightly benevolent,  寬厚仁慈

<克>は多義語
 
1.能够:克勤克俭。 2.战胜,攻下:攻克。3.克复(战胜敌人并收回失地)。 4.制伏:克服、克制、克己奉公。5.以柔克刚。 6.严格限定:克日、克期、克扣。 7.消化:克食。

ここは<能够(できる)>でいいだろう。

信兆民: confidence was reposed in him by the millions of the people.

 明らかになる、する。

邦乃其昌: how will the states all flourish! 


方能割正有夏

yyyyy 方能 xxxx>は<yyyy してはじめてxxxx できる>と言う中国ご特有の言いまわし。


<割正>は難しい。下記解説参照(baike)


【拼音】gē zhèng
【释义】犹(相似、如同)虐政。《书·汤誓》:“我后不恤我众,舍我穑事,而割正夏 。” 孔传:“正,政也。言夺民农功,而为割剥之政。”《史记·殷本纪》引作“我君不恤我众,舍我啬事而割政。” 明 王铎《太子少保兵部尚书节寰袁公(袁可立)神道碑》:“有徒掘阅,割正未彰;公处屯蹇,厥处无伤。”

という解説がある。だが<虐政>は現代語では<暴虐な政治>だが、下のストーリでは<割正夏>はto attack and punish Xia>と訳されており、こうしないと意味が通じない。

<方能割正有夏>の<有>はどういう意味か? 

《尚書》の《商書》<湯誓>

伊尹相湯伐桀,升自陑,遂與桀戰于鳴條之野,作《湯誓》。

王曰:「格爾眾庶,悉聽朕言,非台小子,敢行稱亂!有夏多罪,天命殛之。今爾有眾,汝曰:『我后不恤我眾,舍我穡事而割正夏』予惟聞汝眾言,夏氏有罪,予畏上帝,不敢不正。今汝其曰:『夏罪其如台?』夏王率遏眾力,率割夏邑。有眾率怠弗協,曰:『時 日曷喪?予及汝皆亡。』夏德若茲,今朕必往。」

The king said, 'Come, ye multitudes of the people, listen all to my words. It is not I, the little child, who dare to undertake a rebellious enterprise; but for the many crimes of the sovereign of Xia, Heaven has given the charge to destroy him. Now, ye multitudes, you are saying, "Our prince does not compassionate us, but (is calling us) away from our husbandry to attack and punish Xia." I have indeed heard (these) words of you all; (but) the sovereign of Xia is guilty, and as I fear God, I dare not but punish him. Now you are saying, "What are the crimes of Xia to us?" The king of Xia in every way exhausts the strength of his people, and exercises oppression in the cities of Xia. His multitudes are become entirely indifferent (to his service), and feel no bond of union'(to him). They are saying, "When wilt thou, O sun, expire? We will all perish with thee." Such is the course of (the sovereign) of Xia, and now I must go (and punish him).'

 (xù)
 1. 对别人表同情,怜悯:~刑(施刑慎重,不严刑以逼供)。体~。
 2. 救济:~金。抚~。
 3. 忧虑:~~(忧虑的样子)。

穡事は農事、日常仕事= husbandry トなる。


「爾尚輔予一人,致天之罰,予其大賚汝!爾無不信,朕不食言。爾不從誓言,予則孥戮汝,罔有攸赦。」

'Assist, I pray you, me, the One man, to carry out the punishment appointed by Heaven. I will greatly reward you. On no account disbelieve me - I will not eat my words. If you do not obey the words which I have thus spoken to you, I will put your children to death with you - you shall find no forgiveness.'

湯既勝夏,欲遷其社,不可。作《夏社》、《疑至》、《臣扈》。

夏師敗績,湯遂從之,遂伐三朡,俘厥寶玉。誼伯、仲伯作《典寶》。


(注15)下不取法祖宗、彼夏王
取法 =  to take as one's mode

 (xiào)は効果の意もあるが古くは模倣、xx にのっとる(則る、法る)の意があったようだ。

 1. 摹仿:~法。仿~。上行下~。~尤(明知别人的行为是错的而照样去做)。
 2. 功用,成果:~验。~果。成~。有~。功~。~益。~用。~应。~率。
 3. 尽、致:~力。

(注16)xxxx、是取敗之道也。

ここでまた<>が出てくるが、この<>の使われ方は微妙だ。

xxxx、は 取敗の道 です>という日本語になりうるが、<是(これ) 取敗の道 也(なり)>が原文に近いようだ。 

(注17)且君為臣之標率,君不向道,臣下將化之、

 <(qiě)>は多義義で、虚字に近い。虚字は重要語が多いが、その一つだ。

Beide - Beike

1. ,还,表示进一层:既高~大。尚~。况~。
2. 表示暂时:苟~偷安。姑~。
3. 表示将要、将近:城~拔矣。年~九十。
4. 一面这样,一面那样:~走~说。
5. 表示经久:这双鞋~穿呢!
6. 文言发语词,用在句首,与“夫”相似:~说。

ここは<>は<1. ,还,表示进一层>の意だろう。<意>と書いたが、虚字なので<表示进一层>ではなく<暗示进一层>で<尚(なお)のこと>で、<君主は臣の天本であるから、なおのこと>となる。<尚(なお)のこと>は漢字で書いても大和言葉だ。<尚(なお)>だけでは<追加>の暗示があるが、<进一层(文字通りでは一層、一段進んでの意)>の派生だ。<なおさら>、<それでもお>という言い方がある。
<2. 表示暂时:苟~偷安。姑~>は<且住了>(ちょっと待て)という言い方が後で出てくる。<暫時>は<暫時アスペクト>とも言え、虚字の大きな働きである<アスペクト形成>だ。


(注18)朋比作奸

壞人勾結在一起幹壞事。同“朋比為”。


(注19)天下事尚忍言哉!
哉! >は反語なので、<天下の出来事、それでも我慢できると言うのか >とでもなるか?

(注20)不俟駕

《论语.乡党》:"君命召,不俟驾行矣。"谓国君召唤,孔子不等车辆驾好马,立即先步行。后以"不俟驾"指急于应召。

<輿に乗らずに急いで>の意。


(注21)面折朕躬

<面折廷爭>と言う四字成語がある。

面折:當面指責別人的過失;廷爭:在朝廷上爭論。指直言敢諫。

朕躬

多用于天子自称。

ところで<當面指責別人的過失> はどういう意味かというと、

當面 - 面と向かって
指責 - 責任を指す、指摘する
別人 - 他人
過失 - まちがい、罪

なので<面と向かって他人の罪を指摘する>ということ。<東怨西怒>という四字成語は<指任意指责别人>という意味だ。ここでは<任意>は wantonly; arbitrarily; wilfully; just as one wishes; arbitrariness という意味だ。言い換えると、他人の罪は自分の罪ではないので<無実の罪を指摘される>、<濡れ衣を着せられる>といった意味だ。

指責は censure; criticize; find fault with; accuse という意味で、<責任の追及>というよりは、間違い、失敗、罪の指摘のことだ。中国では実際<指(ゆび)を指して>言うのはまれではない。この辺の語彙(四字成語)は異常といえるほど、必要以上に発達している。下記参照。

关于指责的成语及解释如下:
百般责难】:配电盘:指采取各种办法;责难:指责非难。指用各种办法指责非难人。

不置褒贬】:置:安放,这里有“加以”之间。褒:褒奖,夸赞,表扬。贬:贬低,指责。不加以表扬或批评。

【草茅危言】:草茅:指民间;危言:直言。指民间敢于指责朝政的正直言论。

成事不足,坏事有余】:成:成就;足:足够。指事情不但办不好,反而把事情弄坏。用于指责办事拙劣或故意不让事情办成的人。

戳脊梁骨】:在背后指责议论。

雌黄黑白】:雌黄:随便乱说;黑白:黑色和白色。指评头论足,胡乱指责。

东怨西怒】:指任意指责别人

多露之嫌】:露:露水;嫌:厌恶。想早晚行走,又怕露水沾湿衣裳。后用以指男女私会。也比喻行为不检点,受人指责。

反唇相讥】:反唇:回嘴、顶嘴。受到指责不服气,反过来讥讽对方。

反唇相稽】:反唇:回嘴、顶嘴;稽:计较。受到指责不服气,反过来责问对方。

分损谤议】:分:分担;损:损坏;谤:诽谤。同受别人的非难指责,分担责任。

讽一劝百】:讽:用委婉含蓄的言语批评、指责;劝:劝告,劝戒。委婉含蓄地批评、指责一个,使大家都受到教育。

负诟忍尤】:忍受指责和怨恨。

攻过箴阙】:指责过错,针砭缺失。

狗屁不通】:指责别人说话或文章极不通顺。

集矢之的】:集矢,指箭射中目标。比喻众人所指责的对象。

谏尸谤屠】:向尸体劝谏,向屠伯指责杀牲的过失。比喻劝谏无济于事

没有说的】:指没有可以指责的缺点。或指不成问题,没有申说的必要。

面折人过】:面折:当面指责,批评;过:过错。当面指责别人的过失,不宽容,不留余地

墨迹未干】:写字的墨迹还没有干。比喻协定或盟约刚刚签订不久(多用于指责对方违背诺言)。

墨汁未干】:写字的墨汁还没有干。比喻协定或盟约刚刚签订不久(多用于指责对方违背诺言)。

木秀于林,风必摧之】:秀:出众,突出;摧:摧残。高出森林的大树总是要被大风先吹倒。比喻才能或品行出众的人,容易受到嫉妒、指责。

千夫所指】:为众人所指责。形容触犯众怒。

千夫所指,无病而死】:指:指责。被众人所指责将没什么好下场。

千夫所指,无病自死】:千夫:很多人;指:指责。为众人所指责和反对的,必然趋向灭亡。

千夫所指,无疾而死】:指:指责。被众人所指责将没什么好下场。

千夫所指,无疾将死】:指:指责。被众人所指责将没什么好下场。

千人所指】:千人:众人,许多人;指:指责。为众人所拇,。

群起攻击】:很多人一起反对、指责。

人言藉藉】:籍籍:纷乱的样子。人们指责、攻击的话哪里都流传着。多用在说有关人家名誉的事。

十手争指】:指人如有不善,众人则争相指责。

廷争面折】:廷争:在朝廷上争论;面折:当面指责别人的过失。指直言敢谏。

无可非难】:无可指责。

无可非议】:非议:责备,批评。没有什么可以指责的。表示做得妥当。

无可指摘】:指摘:责备,批评。没有什么可以指责的。表示做得妥当。

无瑕可击】:瑕:比喻事物的缺点。完美无缺,无可指责。

以为口实】:作为谈资。也指作为指责、攻击他人的把柄。

溢美溢恶】:溢:水满外流,引伸为过度。过分夸奖,过分指责。

引为口实】:作为谈资。也指作为指责、攻击他人的把柄。

予人口实】:予:给予;口实:话柄。给人留下指责的话柄。

责有所归】:指责任有所归属。

责重山岳】:指责任之重如山岳。形容责任重大。

【止谤莫若自修】:止:停止,平息;谤:指责。要阻止别人毁谤,最好的方法是修身。

指佞触邪】:佞:花言巧语的小人;邪:邪恶。指责申斥奸佞之人,抵制邪恶势力,


これは、前に次のように書いた<>(濡れ衣)の語彙が発達しているのと関連する。
 >は<冤罪(えんざい)>の<>、<無実の罪、罰>、<罪のなすりつけ>。ここはこれでいいが、中国語(現代中国語を含む)の<>はけっこう複雑で


1. 屈枉,无故受到指责或处分:~枉。~屈。~案。~狱。~愤。伸~。鸣~叫屈。
2. 仇恨:~头。~家。~孽。
3. 欺骗:不许~人。

 - English として

bad luck(不運)、enmity(敵意)、wrong (間違い)、grievance (恨み), injustice (不正)


があげられといるが、 とは意味が少しずれている。 日本語の方も<無実の罪、罰>のようになって一語ではあらわせないようだ。大和言葉では<濡れ衣を着せられる>という言い方があり、長い表現だがこれ冤にあたるかもしれない。だが濡れ衣>は比喩だ。

注22)、納諫容流

原文は<納諫容流>だが<納諫如流>と言う四字成語はある。

(注23)大興問罪之

英訳がある: to launch a punitive campaign;to condemn scathingly 


(注24)君壞臣綱,有敗五常。

これは別のところでも書いたが<綱>は<三綱>の<、<五常>は三綱五常の五常>で

三綱: 君為臣綱,父為子綱,夫為妻綱
五常: 仁、義、禮、智、信。封建禮教提倡的人與人之間的道德規範。  


(注25) 于飛之樂 (yú fēi zhī lè)

【釋義】:於飛:比翼齊飛。比喻夫妻間親密和諧。<仲(なか)むつまじい>は大体夫婦のことだ。


(注26) 隨侍接詩鋪在御案上。

<鋪>は<鋪紙>で書くため、読むため紙を広げること。
<御案>は皇帝所用的桌子(つくえ)。

したがって、<お付の者が詩の書かれた紙を皇帝の机の上に広げた>となる。

(注27)

天子紂王の言動が多いので天子用語をいくつか復習、まとめておく。 

宣 - 皇帝命令或传达皇帝的命令:宣付。宣召(皇帝召见)。宣诏(传旨)。  

(zhǐ) - 封建时代称帝王的命令:旨令。奉旨。


忤旨 - 〈旧〉皇帝の命令に違反すること.

 (zòu) - 封建时代臣子对皇帝陈述意见或说明事情。

朕躬 - 多用于天子自称。

駕士 - 導引皇帝坐車的人。天子、皇帝の乗り物は昔は自動車がなかったので輿(こし)だ。一方馬に乗るのも<駕>と言うようだ。いまでも中国では<車を運転する>は<駕車、駕使>という。 駕官は天子がのる輿の管理人だろう。

(注28)以聲其罪

聲罪致討(hēng zuì zhì tǎ)という四字成語の前半部

【釋義】:宣佈罪狀,並加討伐。


(注29)庶幾兩全

庶幾 shùjī
[maybe]∶或许可以,表示希望或推测

<兩全>は<双方良し>の意だが、ここでは双方は朝廷側、蘇護側の意だろう。


(注30)節鉞

Chinese - wiki

節鉞 是中国歷史上中央政权官員授权,允许其代行天子军政职权(或是代天巡狩)的凭证与象征,其形态样式以及代表的权力各代有变化。
(拼音:yuè,音同「越」),本字為,又稱作[1]。是大型化的中國先秦時代武器
集韻》載:「戉,威斧也。」《周禮・大司馬》注載:「戉,所以為將威也。」鉞的外型為一長柄斧頭,重量更重於斧。早在新石器時代良渚文化遺址中,已發現製的鉞,在當時具有神聖的象徵作用。盛行于西周,但因形制沉重,靈活不足,終退為儀仗用途,常作為持有者表現威儀與權力之用,在後代也往往是君主大權的象徵。

<難しい字の<鉞>は以上でいいが前にある<節>は<ふし>や季節や節度ではない。
 
古代出使外國所待的憑證:符~。使~。>というマイナーな使い方の解説があり、<節>いわば昔の外交官用の高級パスポートだ。 これからすると<使節>の<節>には深い意味があるのだ。


(注31) 

詔は< みことのり>と読めそうだが、これは<み言(こと)>+<のり>で、<のり>は<のりと>の<のり>で<のる>由来。もとの中国では<帝王所発的文書命令>と言う解説がある。


(注32)  事使之道無兩

前後の内容からすると、<君に仕えるに二心があってはならぬ>と言った意味か? 
 
(注33) 命召,不俟駕

時代が後になるが 

《论语.乡党》 :"君命召,不俟驾行矣。"谓国君召唤,孔子不等车辆驾好马,立即先步行。后以"不俟驾"指急于应召。

というのがあり、<君に召喚されたら、輿を準備してのろのろ行くのではなく、即刻徒歩で参上する >の意だ。


(注34) 乃所以隆尊卑
これは難しい。<乃(nai)>は多義語。<所以(suo-yi)> は<したがって>だが、漢文読みで<xxする所を以て>とも読める。<>は<高い>が原意だが、<尊>と<卑>と対比なのか、>は動詞で<隆尊卑>と読むのか? 前後の内容からすると、<尊卑の差があるべき>といったところか。

(注35) 欽哉


qīn
 1. 恭敬:~佩。~敬。~慕。~赞。~迟(敬仰。旧时书函用语)。
 2. 封建时代指皇帝亲自所做:~命。~赐。~差(chāi )(由皇帝派遣,代表皇帝出外处理重大事件的官员)。


(注36)謝恩

<謝恩>はこの種の書面の最後にくる決まり文句だろう。 (ēn) は上に取り上げた<冤>と関連があるが、<怨(うら)み>の反義語だ。謝恩で<恩に感謝>の意だ。

(ēn) : 好处,深厚的情谊:恩爱。恩赐。恩宠(指帝王对臣下的优遇和宠幸)。恩德。恩典。恩惠。恩仇。感恩。开恩。  

と言う解説からすると、帝王が臣下に(たま)わう優遇が恩でもある。これは民主的な平等扱いから離れ、賄賂のはじまりだが、帝王が臣下の関係のみならず、いろいろな<関係>に見られる中国の長い歴史的文化で、有利な関係を作り、続けるための必要悪なのだ。もっともにほんでも<恩を売っておく>という行為がある。

<冤罪>には報怨、仇怨で対応するが、これでは<仇討ちの仇討ち>が繰り返され生産性がない。キリスト教では<不報怨、凡事謝恩>が繰り返されて説かれる。
 
(注37)平身

日本語では平身低頭という四字成語があるが、<身を平らにする>のように解釈しているが、もとの中国で、は跪き頭を下げていた身を斜めから<平らにする>こと、すなわち<身を起こすこと>だ。もっとも、現代語の<起身>は文字どおり、目を覚まして起き上がることだ。

(注38)
『王言如絲,其出如綸。』(注38)
 

(注39)

只願當今不事干戈,不行殺伐, 共樂堯年。況兵乃凶象,所經地方,必有驚擾之虞,且勞民傷財,窮兵黷武,師出無名,皆非盛世所宜有者也。」

こもも四字成語が並んでいる。推測できるものもあるが注をしておく。

共樂堯年   堯統治時代の世を楽しむ。
驚擾之虞        <>は不安
勞民傷財   これは解説がいらないだろう。
窮兵黷武
【釋義】:窮:竭盡;黷:隨便,任意。隨意使用武力,不斷發動侵略戰爭。形容極其好戰。
師出無名
【釋義】:師:軍隊;名:名義,引伸為理由。出兵沒有正當理由。也引申為做某事沒有正當理由。

【釋義】:窮:竭盡;黷:隨便,任意。隨意使用武力,不斷發動侵略戰爭。形容極其好戰。

(注49)概不由己
 指一切不能由自己做主。