封神演義では妲己が美人代表で、<決まり文句>ともいえる美人の形容が使われている。もちろんこれらは中国人が持つの美人のイメージのようだが、妲己、紂王が生き た時代の美人のイメージと封神演義の作者が生きた時代では美人のイメージ(これが封神演義の中で使われている)は実際違うだろう。唐時代の宮廷女性図と明清時代の仕女図では大きな違いがある。
第一 回 紂王女媧宮進香 から
紂王が女媧宮で女媧を見て作った詩の中にある
梨花帶雨
芍藥籠煙
はきまり文句だ。 ( 封神演義 第1回 紂王女媧宮進香-本文で解説済み。)
第二 回 冀州侯蘇護反商 から
全国から美女を集めようとした時の令(実際には発令されず)。
- 容貌端莊,情性和婉,禮度賢淑,舉止大方 (<大方>はゆったりしている様)
費仲が紂王に冀州侯蘇護に美女の娘(妲己)がいることを報告する場面
- 豔色天姿,幽閒淑性
<幽閒>は
幽閒 yōuxián
(1) [be gentle and serene]∶ 形容[女子] 安詳文雅
(2) [be leisurely and carefree]∶ 閒適自得
という解説がある。
紂王が冀州侯蘇護にその旨を伝える場面
- 德性幽閒,舉止中度
以上は容貌もあるが性格、所作も含まれている。 日本語では<容姿端麗>というのがある。
第四 回 恩州驛狐狸死妲己 から
妲己が朝廷に行くために家を出る場面
- 真如籠煙芍藥,帶雨梨花。
ここでまた<籠煙芍藥,帶雨梨花>が出てくる
紂王が初めて妲己を目にした場面
- 見妲己烏雲疊鬢,杏臉桃腮,淺淡春山,嬌柔柳腰,真似海棠醉日,梨花帶雨,不亞九天仙女下瑤池,月裏嫦娥離玉闕。妲己啟朱唇似一點櫻桃,舌尖上吐的是美孜孜一團和氣,轉秋波如雙鸞鳳目,眼角裏送的是嬌滴滴萬種風情。
ここはかなり長い形容だ。 <杏臉桃腮,淺淡春山,嬌柔柳腰,真似海棠醉日,梨花帶雨>の箇所は下記 Site に写真付きの詳しい説明がある。
http://read01.com/4dKe3G.html
<海棠醉日>がわかりずらい、目に浮かびずらいが、下記の箇所の説明と写真が参考になる。
前面還提到海棠,這是一個非常惱人的植物,我提過好多次,首先要分清一個概念,那些草本的秋海棠、四季海棠什麼的千萬別扯進來,不搭界。這 裡講木本的薔薇科海棠。
平日裡說的海棠其實分兩類,一類是海棠屬、一類是木瓜屬(熱帶的番木瓜也別扯進來)。海棠屬包括海棠、垂絲海棠、西府海棠等等,還有蘋果也是海棠屬的,比 如我以前寫過文章把垂絲海棠的果叫小蘋果,這類海棠花都是有梗的,注意,很好記,蘋果是不是有梗啊,你就記住它們都是海棠一家的,都是海棠屬 的。木瓜呢, 也是一個專門的屬,有木瓜、日本木瓜、皺皮木瓜等等,但在平常一般被叫做日本海棠、貼梗海棠、木瓜海棠等,其實它們不是海棠,這些都是沒有花 梗的,或者說 花梗很短。
為什麼會有這般混淆,是因為有一個海棠四品的說法,就是有四種海棠,西府海棠、垂絲海棠、木瓜海棠、貼梗海棠,其實前兩個是海棠,後兩個是木瓜。
海棠はいろいろな種類がある。秋海棠とは違う。<海棠醉日>は文字通りでは<日に酔った海棠>だが、<梨花帶雨>と対句であるとすると、 この<日>はそれほど強くない<春の日>だろう。<梨花帶雨>ほどの<決まり文句>ではない。
木瓜は日本では<ぼけ>とも発音し、 <ぼけの花>は<春の日>と相性がよさそう。
海棠の英語名(common names)はAsiatic apple, Chinese crab, Chinese flowering apple で白、ピンク、淡い赤のリンゴの花のようで、木の花。秋海棠はbegoniaで草の花。リンゴの花も梨の花も楚々とした可憐(かれん)な花だ。したがって妲己はバケモノとはいえ、見かけ上は楚々とした可憐な女性ということになる。
九天仙女と嫦娥
九天仙女も嫦娥も中国神話に出てくる女性だが、絶世の美人のイメージがないといけない。
九天仙女:意思是指指天上的仙女,比喻绝色美女。
嫦娥是中國神話人物,美貌非凡,溫柔賢慧,風流仙子,為后羿之妻。神話中為了保持年輕美貌偷食西王母賜予后羿的不死藥而奔月。
秋波
今はほとんど死語だが<秋波>(秋波を送る)は日本語になっていた。
第七回 費仲計廢姜皇后 から
妲己が歌を歌い舞を舞う場面
妲己歌舞起來。但見:
霓裳擺動,繡帶飄揚,輕輕裙裷不沾塵,嬝嬝腰肢風折柳。歌喉嘹喨,猶如月裏奏仙音;
一點硃唇,卻似櫻桃逢雨濕。尖纖十指,㨪如春筍一般同;杏臉桃腮,好像牡丹初綻蕊。
正是: 瓊瑤玉宇神仙降,不亞嫦娥下世間。
ここもかなり長いが
腰肢風折柳 - <嬌柔柳腰>というのが上にある。<柳腰(やなぎごし)>は日本語になっている。
一點硃唇、櫻桃逢雨濕 - <啟朱唇似一點櫻桃>というのが上にある。
杏臉桃腮 - これも上に出てきている。<決まり文句>のようだ。
不亞嫦娥下世間 - <月裏嫦娥離玉闕>というのが上にある。
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封神演義に出てくる美人、妲己の形容については以上で大体カバーできそうだ。ところで、参考に<坊ちゃん>のマドンナの形容を示しておく。紋切型ではない。<坊ちゃん>では中国の美人形容使っていない。漱石は中国文学の素養が深かったので当然中国の美人形容は知っていはずだ。実際<坊ちゃん>のなかにマドンナに関連してして、妲己そのものではないが妲己の名が出てくる。だが<妲己のお百>という歌舞伎に出てくる恐ろしい女としてだ。
”
「まだご存知ないかなもし。ここらであなた一番の別嬪(べっぴん)さんじゃがなもし。あまり別嬪さんじゃけれ、学校の先生方はみんなマドンナマドンナと言うといでるぞなもし。まだお聞きんのかなもし」
「うん、マドンナですか。僕あ芸者の名かと思った」
「いいえ、あなた。マドンナと云うと唐人(とうじん)の言葉で、別嬪さんの事じゃろうがなもし」
「そうかも知れないね。驚いた」
「大方画学の先生がお付けた名ぞなもし」
「野だがつけたんですかい」
「いいえ、あの吉川(よしかわ)先生がお付けたのじゃがなもし」
「そのマドンナが不たしかなんですかい」
「そのマドンナさんが不たしかなマドンナさんでな、もし」
「厄介(やっかい)だね。渾名(あだな)の付いてる女にゃ昔から碌(ろく)なものは居ませんからね。そうかも知れませんよ」
「ほん当にそうじゃなもし。鬼神(きじん)のお松(まつ)じゃの、妲妃(だっき)のお百じゃのてて怖(こわ)い女が居(お)りましたなもし」
「マドンナもその同類なんですかね」
...............
”
おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水晶(すいしょう)の珠(たま)を香水(こうすい)で暖(あっ)ためて、掌(てのひら)へ握(にぎ)ってみたような心持ちがした。
”
(付録) 妲己の義妹で胡喜媚の美人の形容
第二十六回 <妲己設計害比干>に妲己の義妹で胡喜媚が出てくる。義妹とはいえこれまた美人で、その形容を抜き出してみる。
妲己忙催紂王進裏面,曰:「喜媚 來矣。俟妾講過,好請相見。」紂王只得進內殿,隔簾偷瞧。只見風聲停息,月光之中,見一道姑穿大紅八卦衣,絲絛麻履。況此月色復明,光彩皎潔,且是燈燭輝 煌,常言「燈月之下看佳人,比白日更勝十倍。」只見此女肌如瑞雪,臉似朝霞,海棠丰韻,櫻桃小口,香臉桃腮,光瑩嬌媚,色色動人。
形容は妲己の場合とほぼ大体似たりよったりで<肌如瑞雪,臉似朝霞,海棠丰韻,櫻桃小口,香臉桃腮,光瑩嬌媚,色色動人>という美人だ。
常言「燈月之下看佳人,比白日更勝十倍。」: よく言われるように灯(ともしび)や月明りにみる美人は白日の下で見る美人より10倍キレイに見える>ものだ、の意。これは妲己の美人描写にはなかった。
もっとも、胡喜媚も妲己と同じく妖精、あるいはバケモノでもともとは雉雞精、雉と鶏の類なのだ。
sptt
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